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【長岡の花火】~長岡空襲の「慰霊」~

2024年「長岡まつり花火大会」に初めて参加しました。
打ち上げ幅が約2キロメートルと言われ、信濃川の河川敷に集まった多くの人たちに美しい花火と流れる音楽が感動を与えていました。

夕方、日が沈んだ直後の空には、花火が爆発したあとの「煙」がよく見えました。

戦時中の「煙幕」を見た気がした・・・

かつて、第2次大戦で、軍艦が大砲を発射し、空を煙だらけにする方法がとられました。そうすることで、敵の飛行機からの視界を悪くし、船が攻撃されるのを防いだのです。
いわゆる「煙幕(えんまく)を張る」というものです。

煙幕は、写真や映画などでは見たことはありました。
しかし、当然ながら実際に自分の目でそれを見たことはありません。
長岡花火大会の冒頭・・・完全に夜になる前の空に花火がさく裂し、きれいな火の花を咲かせたあとの「煙」を見て私は戦時中の兵士の方が見ていた景色を一瞬ではありますが、体験したような気がしたのでした。

「慰霊と復興、平和への願い」がこもった花火

終戦の約2週間前・・・
1945年(昭和20年)8月1日の午後10時30分から、8月2日の午前0時10分の間にアメリカ軍により長岡市の中心部に大量の焼夷弾が投下されました。
これが、長岡空襲です。1480人余りの市民が命を落としたとされています。
そして、翌年の1946年(昭和21年)に「長岡復興祭」が開催され、さらに翌年の1947年(昭和22年)に花火大会が復活するのです。

撮影:平本(2024年8月2日)

「爆弾」と「花火」に使われる火薬

火薬を燃焼させ爆発させる・・・
「爆弾」と「花火」のどちらも火薬が使われます。そして、爆発を伴うというも共通です。しかし、二つの【目的】は全く異なります。
片方は敵の人命を奪うために、もう一方は人々に希望を与えるためです。

今回、長岡の花火大会に参加して、「道具」は使う側の意思によって全く別の効果を与えること、それを改めて認識しました。

長岡駅に展示されていた花火玉

次回、訪れるときは、8月1日に長岡入りをして、「長岡戦災資料館」に足を運びたいです。

また、8月1日の「平和祭」(旧 長岡まつり前夜祭)にも参加をして慰霊・復興・平和への想いを地元の人と共にしたいと強く感じました。

【リンク】「おしえて!長岡花火先生」より

まだ、長岡花火大会に行ったことがない人にも、実際に花火を見た人にも知って欲しい「長岡まつり」の想いが動画にまとめられています。ぜひ、ご覧くださいませ。(再生時間は6分48秒です)

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