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人生ミックスジュース

気分を変えるために、別の名前を作った。
100枚書いて100枚捨てた。

がんに犯され、余命幾許もないシンガーが、心境をメロディに乗せて聞かせてくれた時、何か、とても深いところで共感した。

余命は知れず、まだまだ生きていかなければならない課題を背負って。美しい弱音は、余命幾許もない、という究極の状況に立たされた方にだけ許された特権だ。

それに静かにあやかって、今日は別の名前を自分につけて見た。
これは、その第一作の短いエッセイだ。

ヒラメが語る人生を”私”は少し距離を置いて並走していきたい。

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風の時代に水を得たように、かろやかに飛び回る水瓶座の夫と、ほんとうに、染み込む水のようにしずかな優しさをもつ蠍座の息子。

そんな二人といっしょにいると、わたしはどうもがんこだなあと思ったり打算的なんじゃないか、と、今湧いてきたアイディアの出元はどこかと自分で突っ込んでみたりする。

牡牛座のせいにするわけじゃないけれど、性分として、これで生きていけるのか?というのが、いつも心の底にある。

現実的なのは、我が家ではいままで、なんとか切り抜けてくるのにある意味ありがたい気質だったのかもしれないけれど、

最近それをこじつけと、感じたり捻じ曲げと感じたり、なにか純粋に踏み出す時の足枷に感じてみたり、とにかく鬱陶しいのだ。

息子くんを育てる、という使命に終わりが見えてきたせいだろうか。

現実的な話は置いておいて、ただ純粋に羽を伸ばしたくなっている。

人の気質は、人生のステージや環境の変化によって、さまざまにバランスを見事に変えるものだ。

現実君もいれば、繊細さんもいる、アーティストもいれば、職人もいる、危うい人もいれば、狡猾な輩もいる。

その絶妙な配合が人生なのかもしれない。

何が選択されるのか、その塩梅は、きっと天文学的な自動計算による。

私はここで放棄した。
手放しに、ミックスジュースのジューサーにかけられることにした。

自分の知らないものが取り込まれたミックスジュースはどんな味だろう?
これから人生の味わい方を少し変えてみることにする。


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