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使いやすさを原初状態から考える(2)

みなさん、こんにちは。
平間です。

前回の振り返り

前回、道具には以下の種類があると書きました。

1.形=機能の原始的な道具
2.機械的なトリガーで動作する形=機能の道具
3.機械的なトリガーで動作するブラックボックス化した道具
4.画面を介したトリガーで動作するブラックボックス化した道具

1におけるユーザーインターフェイスは世界とのかかわりそのままですが、2・3・4のユーザーインターフェイスは、人間が人間のために作り出したものであり、ユーザーにとって本質的でない可能性があります。
中でも、4は特徴的な「画面」を介するため、一層注意をしなければならないのです。

仮説が「画面」インタラクションの秘密を解く

では、「画面」の何が特筆すべきことなのでしょうか?

それを解く鍵は以下の仮説にあります。

人間が世界と適切にインタラクションできるのは、この世界における「経験」を積み続けたからです。
つまり、人間の「生物的特性」とこの世界で積んだ「経験」を合わせたからこそ、自然に道具を使えるのです。

これはどのような意味でしょうか。

この世界で積む経験がインタラクションのベース

まずは、経験についてお話しします。

例えば、僕らは目の前の石を掴んで、的をめがけて投げることができます。
当たり前すぎて笑ってしまうかもしれないですが、冷静に考えてみてください。
これは凄いことに思えないでしょうか。

赤ちゃんは目の前の石をうまく掴めるでしょうか?
(握る能力を問題にしているわけではありません。石の存在を認識し、石と自分の位置関係を把握し、石の位置に自分の手をピッタリとのばす...といった内容を問題にしています)

もしあなたが宇宙空間に放り込まれたら、同じことができるでしょうか?
(正確には、宇宙空間は地球と同じ物理法則が働くと考えられます。ただ、それを知らない人にとっては、全く別の物理法則が働いていると感じるでしょう。)

この例からもわかるように、適切なインタラクションはこの世界における経験がベースになっているのです。

生物的特性は世界認識の根源

次に、生物的特性についてお話しします。

僕らが見えている(感じている)世界は世界そのものでしょうか?

例えば、こんな事態を考えてみましょう。
「私の目の前には、黒いPCがあり、それは白い机の上にのっています。加えて、PCのキーボードを叩く手があります。」

赤ちゃんには、どのような世界に見えているでしょうか?
黒いPCはPCではありません、黒い物体でしょう。赤ちゃん自身の手は...意識と連動している気がする自分の前にある黄色の物体あたりではないでしょうか。

虫には、どのような世界に見えているでしょうか?
黒いPCは暖かくて生存のための場所かもしれません。私の手はただの物体、壁のようなものと普段は思われているに過ぎませんが、動いた途端に天災のようなものに変わるかもしれません。

このように、世界は一つの世界としてあるわけではありません。
私は「大人の人間」であるから、私にとっては「大人の人間」としての世界が目の前にあるのです。

仮説と次回へ

以上のように考えてみると、この仮説をある程度の正しさをもって受け入れてもらえるのではないでしょうか。

人間が世界と適切にインタラクションできるのは、この世界における「経験」を積み続けたからです。
つまり、人間の「生物的特性」とこの世界で積んだ「経験」を合わせたからこそ、自然に道具を使えるのです。

画面の話に入る前ですが、また長くなってしまいました...。というわけで、次回以降に続きます。
現在のところ、法則の話、空間の話、妥当性の話あたりをしたいな、と考えています。

というわけで、またお会いしましょう!

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