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使いやすさを原初状態から考える(3)

みなさん、こんにちは。
平間です。

前回の振り返り

前回、前々回と、道具の種類と道具インタラクションの仮説について書いてきました。

【道具の種類】
1.形=機能の原始的な道具
2.機械的なトリガーで動作する形=機能の道具
3.機械的なトリガーで動作するブラックボックス化した道具
4.画面を介したトリガーで動作するブラックボックス化した道具
【道具インタラクションの仮説】
人間が世界と適切にインタラクションできるのは、この世界における「経験」を積み続けたからです。
つまり、人間の「生物的特性」とこの世界で積んだ「経験」を合わせたからこそ、自然に道具を使えるのです。

今回は、画面を介したインタラクションは「絶対的な法則がなく、使いづらさを生んでいる」というお話しをします。

機械的なトリガーで動作する道具は、原始的な道具の延長

2・3におけるユーザーインターフェイスは、世界に空間を持っていることが特徴です。ボタン、スイッチ、ダイヤル等が代表的です。

ここが重要なのですが、これらは私たちが経験してきた物理法則を破ることはありません。
つまり、これらのユーザーインターフェイスは人間が作り出したユーザーインターフェイスではありますが、私たちが経験するインタラクションは1の延長なのです。

画面を介したトリガーで動作する道具は、三つの特徴を持つ

それに対して、4はどうでしょうか。
4は世界に空間を持っていないユーザーインターフェイスと言っても構わないでしょう。
それにより、いくつかの特徴を持つことになります。

A.空間を活用したインタラクションができないこと
B.一つの画面世界で、一貫した物理法則が存在しないこと
C.複数の画面世界で、一貫性が存在しないこと

まず、1〜3の世界におけるインタラクションは、先述したように私たちが生まれてからずーっと経験している物理法則を下敷きにしています。
ところが、4におけるユーザーインターフェイスは(見かけ上)空間を持っていないため、物理法則が適用されません。

このことは大きな意味を持ちます。
次のように考えてみると面白いのではないでしょうか。

デザイナーは全能な唯一神ではないから、問題が生じる

一つの画面世界における(広い意味での)デザイナーはその世界における範囲で神なのだ、と。その世界に存在するものはもちろん、そこに働く因果や法則も定められる存在なのだ、と。
その世界に現実世界での経験を持ち込んだ私たちが入り込むとどうなるでしょうか。
これまで経験してきたことは通じなくなります。
ものを動かしたり、変形させたり、多様な視点で確認したり、触れて感じたり、などあらゆるインタラクションが通じなくなるのです。
これが「A.空間を活用したインタラクションができないこと」です。

でも実は、現実世界の経験が中途半端に通じてしまうことも大きな問題なのかもしれません。
ある特定のものだけを動かせる、変形させられる。言い換えると、一貫した物理法則は感じられず、インタクラションを試みるたびに、想定外が訪れる。
これが「B.一つの画面世界で、一貫した物理法則が存在しないこと」です。

さらに厄介なことに、神は複数存在します。
そう、画面世界は無数にあるのです。
noteという画面世界もあれば、noteにアクセスするためのブラウザ、ブラウザを動かすOSの画面世界もあるのです。
ある神が一つの画面世界で一貫した物理法則を築き上げ、僕らがその世界での経験を積んだとしても、他の画面世界では別の画面世界での経験が完全に通用することはないのです。
これが「C.複数の画面世界で、一貫性が存在しないこと」です。

これらの特徴により、画面世界は、私たちが慣れ親しんだこの世界とは全く異なってしまいます。画面世界での私たちは未知の体験と遭遇し続けることになり、混乱しやる気を削がれ、、、インタラクションに使いづらさが生じている、と言えるのではないでしょうか。

というわけで、今回は終わりです。
またお会いしましょう!

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