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要素の客観より、全体の主観

みなさん、こんにちは。
平間です。

何かを議論するとき、デザインを議論するとき、あなたの意見のより所はなんでしょうか?

例えば、以下のようなものがあると思います。
1.あなたの感覚
2.他人の意見を取り入れる
3.客観的な数値

数字が大きくなるほど、すべてに通じるものだと一般的には言えるでしょう。

例えば、ボタンサイズが議論されるとき、上に当てはめるならこうなるでしょう。
1は「このボタンは小さいと感じるので、変えたほうが良いと思います」
2は「上司がこのボタンサイズは小さいと言っていました私もそう思いますし、変えましょう」
3は「このボタンは〇〇mmです。ガイドラインの既定より小さいので変えるべきです」

1は主観的な意見です。発言者以外の人が同様に思うかは全くはっきりしません。
2は主観的な意見が複数集まった意見です。少なくとも複数人は同じ意見であり、他人も同様に思う可能性があります。
3は客観的な意見です。「ガイドラインが〜」の箇所ではなく、「このボタンは〇〇mm」の箇所を指してそのように言っています。

実は、私がこの記事で伝えたいことは「3の発言をしよう」ということではありません。
1~3を理解した上で「1の発言をしよう」ということです。

客観的な数値は、確かに多くの人が認めざるを得ない事実といえます。
ですが、ある事柄を客観的な数値にするために何かを失っていることも多いのではないか、と感じています。

念のため、僕が伝えたいことは「初等的なレベルでの客観化には落とし穴がある」ということです。
先程のボタンサイズの例で言えば「ボタンのデザインをサイズ・色・形...と要素分解し、サイズはどうだ・色はどうだ・形はどうだ...とみていくだけ」のことを指しています。
つまり、「ボタンとしてどうかという観点を捨てている」ということです。
ボタン自体のデザインとして客観化→ソフトウェア全体のデザインとして客観化→プロダクトのデザインとして...というようにレベルを上げた客観化ができれば落とし穴は小さくなっていきます。

(ユーザーインターフェイス)デザインは使う人の受け取り方が重要なので、「要素の客観化よりも全体を把握した主観を大切にしよう」ということです。

だから、目の前にあるデザイン全体について自分が感じることを発言し、合意形成を繰り返すことが重要なのです。
長くなりますので、詳細はまた後日紹介します。

その仕方であれば、こんな問いがあっても何も問題はありません。
ただ、積み上げれば良いのですから。
僕に見えている世界、あなたに見えている世界、みんなにみえている世界は同じなのだろうか。

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