【日記32】終わりを迎えたカフェ&バー~親友と嬉しそうに
2.4 SUN(6℃/2℃) 7年の歴史に幕
居場所にしていたお店がまたひとつ、終わりを迎えた。
2017年から2019年の約2年間働いていたカフェ&バーだ。
最後の営業日には、懐かしい顔ぶれが揃ったが、来られた人も、来られなかった人もいた。会えた人も、会えなかった人も。
そしてこのお店が7年の歳を重ねるうちに、亡くなってしまったお客さんもいた。
祖父母や、知り合い、友人など、何度か人の死を経験してきたけれど、いまだに、その人ともう会えないことが信じられない。
生きているような気がするのとも少し違う。
思い出や遺された物たちがまだあたたかいのに、本人だけが跡形もなくいない。そこが僕にはなんだかしっくりこない。
2017年当時、僕は勤めていた会社が倒産し、職を失っていた。
付き合っていた人(現在の妻)との結婚を考えたときに、覚悟を決めて初めて正社員で就職した会社だった。
大学を卒業後、約6年間はアルバイトだった。小説を書くことを一番に考えていたから、フリーターであること自体に何の迷いも偏見もなかった。
だけど、結婚は、人の人生を分けてもらうことは、このままだとできないかもな、とは感じていた。
大学時代の就活でうまくいかなかった経験がトラウマのようにまだ心にあったが、気前のいい社長に拾ってもらい、小さな会社で、28歳の時に人生で初めて正社員になった。
そんな、生まれて初めてサラリーマンをやらせてくれた会社が、倒産したのだ。
「もう会社はいやだな」
そんな風に思いながら、次の仕事を決めないままぶらぶらしていた期間に、そのカフェ&バーによく飲みに行っていた。
思い出がたくさんあるんだ。
2.5 MON(6℃/3℃) 誕生日は、誰かに何かをしてあげたい
ひとつのお店が7年の歴史に幕を下ろした翌日、今度は自分の誕生日。
36歳になりました。
いつもは会った人に積極的に誕生日であることを言うのだけど、なぜか今年は会社では誰にも言わないことにした。特に意味はない。
朝から、雪の予報が出ていた。
昼前には予報通り降り始め、会社を出るころにはシャーベットのようになって道に積もり始めていた。
夜には一面真っ白に。
どこかお店で美味しいもので食べようかとも思ったけれど、妻と家でご飯を食べた。
食べるご飯は、自分で料理した。
自分の誕生日くらい、誰かに何かをしてもらうより、自分が誰かに何かをしたい。そんな風に思った。
2.6 TUE(5℃/0℃) 不意の記憶、夏合宿
雪は、明け方には雨に変わっていたようだけど、窓を開けたらやはり街は真っ白だった。
最近はすっかり会社から歩いて帰るのにハマってしまったので、今日も歩いて帰れそうにないことに、フラストレーションがたまる。
ただ、降り続いた雨のおかげか、変える頃には雪も解け、ついでに雨も止み、すごく嬉しくなって歩いて帰った。
途中、雨上がりの濡れた草が急に香った。
高校時代のラグビー部の夏合宿を思い出した。
岩手の山の中で10日間、苗場のスキー場の近くで7日間。つらい記憶しかないが、合宿が終わった翌日に、部員のみんなで豊島園のプールに行ったのは楽しかった。
体にたまりにたまったダメージがあるにもかかわらず、よく泳いでよく笑ってよく寝た。
2.7 WED(9℃/0℃) 社会人になってからの友だち
今日は朝も2駅分歩いてみた。
雪の翌日の雨、そして曇天だった昨日とは打って変わって快晴。
長い坂をずんずん登って、小津夜景『いつかたこぶねになる日』の徐志摩の詩を読みながら歩いた。「ふたたび、さよならケンブリッジ」がどうしても好き。
その詩が紹介されている「虹をたずねる舟(パント)」という章は、小津さんの高校生の時の記憶から始まる。北方領土から教育実習生としてやってきたユーリ先生とのエピソードだ。〈あの先生、お休みの日はなにしてるのかなぁ。引っ込み思案だし、あんがい一日中部屋にいたりして〉と、知らない土地で生活をする先生を心配して、近場の観光地を教えたという。ちなみにユーリ先生は〈不死身の兵士みたいにいかつい体つき〉だったそうだ。
北方領土の島には仕事がなく、日本で英語の先生になりたいという彼に小津さんも共感する。
〈人は生まれる場所を選べない〉し、小津さん自身も〈なぜ自分はここにいるのか、なぜ自分は生きているのか、と考えない日なかった〉と。
僕はどうだろう。
僕が生まれたのは東京で、そのまま場所を変えることなく育った。
東京に生まれ育っても、なぜ自分はここに?という疑問はずっとあった。東京じゃなければ、と思ったことも少なくない。
東京なんて。
東京なんか。
なに言ってんだよ、と思われるかもしれないけれど。
そういえば、その日のラジオで、「社会人になってからの友だちについて」というテーマでメッセージを募集していた。
住吉美紀さんの「社会人になってから、友達になった人いますか?」という呼びかけに、自分も少し考えてみた。
社会人になってから得た友だちは、学校の時のようではない。
毎日会うわけでもないし、一緒に遊びに行く仲でもない人もいる。
でも確かに友だちだと、僕には感じられる。
友だちというものの考え方や定義が、子供時代の学校の友だちがベースのままだと、大人になってから友達がいないと感じてしまいそうになる。
本当は、いないのではなく、子供時代とはちがう友だちに、まだ気づけていないだけなのかもしれない。
友だちとは違うんだよな、と感じている相手も、もしかしたら学校時代の友だちの定義に照らし合わせてそう思っているだけで、本当は、自分にとってちゃんと友だちだったりして。
2.8 THU(11℃/1℃) 世間に馴染む方法
文月悠光『臆病な詩人、街へ出る。』を読んでいる。
WEB連載の打ち合わせ中、詩を書いていなかったら普通のキラキラした女子になれたのではないか? と編集者が言ったのを受けて、〈詩を書いているせいで世間に馴染めないのではない。世間に馴染む方法がわからないから、詩を書いているのだ〉と文月さんは書いていた。
自分も小説を書いている時はそうだったかも。
いまは、なんとか得た世間との接点を、短歌にしている感じ。
でもそろそろ短歌の中で日常を逸脱したくなってきた。
仕事で高所作業。
屋根に登って、看板の貼り替え。
2.9 FRI(11℃/2℃) 臆病と勇敢、トルコライス、そしてはっちゃん
引き続き『臆病な詩人、街へ出る。』を。
様々なことにチャレンジし、アイドルのオーディションにも挑んだ著者。
「臆病な詩人」として認知されたことと引き換えに、〈「この人が臆病だなんて信じられない」〉とSNSで反応する人が出てきたらしい。
でも、臆病だからこそ、自分を臆病だと認めて受け入れたからこそ、勇敢になれる時もある。
そのことを、文月さんが行動で見せてくれた、勇気の出るエッセイ集だと思った。
昼間、ラジオから、長崎ランタンフェスティバルの話題。
2011年に行ったら、ちょうどその時だった。
軍艦島にも上陸し、観光した。
そして思い出す、「ニッキー・アースティン」というトルコライスのお店。
夜は友だちと食事。
彼の息子が『ドラゴンボール』にはまっているという話から、はっちゃん(人造人間8号)のことを語った。
2.10 SAT(12℃/1℃) 『翅ある人の音楽』批評会へ
濱松哲朗『翅ある人の音楽』批評会に参加。
濱松さんは1988年生まれの同い年で、以前に短歌アンソロジー『パチパチの会』誌上でご一緒させていただいた。
パネルディスカッション、会場発言と、様々な人の意見が聞けて、興味深い話ばかりでとても勉強になった。
同じ作品に対して、複数が意見を言う。
それぞれの見方、考え方、読み方を聞かせてもらうことで、自分が作品を作るときにも、よりいろんな目で見られるようになっていく気がする。
勉強会や批評会にはなるべく出ていこうと改めて決意。
夜は懇親会。結社を越えていろんな方が集まっていたので、よくお話をさせていただいた。
懇親会の会場まで、たまたまエレベーターに乗り合わせたとある方とお話をしながら一緒に歩いた。初めまして。
なかなか短歌の知り合いの少ない自分なので、批評会に来るとだいたい一人です。話してくれてありがとうございますと伝えたら、同じ時代に短歌をやっている人は仲間だとおっしゃっていただき、緊張が解け、心が軽くなった。もつ鍋美味しかったですね。
濱松さん本人には、最後の最後でやっと、同じ時代を生きる中での苦労や奮闘を歌集にすごく感じたこと、生きることに苦労しながらも、それでも芸術へ向かおう実践しようとする心に、同い年としてとても励まされたということをなんとか伝えた。
そして、濱松さんにはすごくいい友人たちがいるんだなと実感した。歌集が出たことや批評会が開かれたこと、そして濱松さんがいるということを本気で喜んでいる人たちの顔が輝いている夜だった。
どさくさに紛れて僕も「著者~」と呼ばせてもらった。
いつもの飲み屋「B」が、5周年記念。駆けつけました。
コロナ禍の緊急事態宣言にも負けず、今日まで続けてくれた女将さんに感謝が絶えない。
日記の冒頭で、閉店したカフェ&バーのことを書いたが、そこでの勤務が終わると、よく飲みに行っていたのが「B」だ。
当時はまだオープンしたばかりで、Wi-Fiのルーターの設定をしてあげたのが懐かしい。
終わるものもあれば、続いていくものもある。
新しく始まるものもあるし、途切れてしまっていたのが再びつながるなんてものもあるだろう。
そういえば、今、前回の日記で書いた妻の親友が遊びに来ている。
これを書いている今は日曜日で、本来は日曜日のことは翌週分の日記になるのだが、ワーワー言いながらマリカーをやっているのが楽しくて、書いておきたいと思った。
妻とその友達は、きっと高校時代も今と変わらず、ワーワー言いながら一緒にゲームをやっていたんだろうな。
親友と嬉しそうに過ごしている人を見るのが、僕はやっぱり好きなんだな。
今週のアルバム
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