第4回 湖(うみ)から海へ
この歌集の中に、この一首があって良かった。
そう強く思わせてくれた歌がある。
自分と過ごすこの夏をずっと思い出してほしいという気持ちを、<あなたの夏の季語になりたい>と表現し、「あなた」を慕う気持ちがとてもよく伝わってくる一首だ。
今回の「短歌をひらく」は田村穂隆さんの第一歌集『湖とファルセット』(現代短歌社)に収められたこの歌を紹介したい。
なんというか、今回は僕の勝手な「祈り」みたいなものだ。
通勤の電車内で読み終えて、いつの間にか深く吸い込んでいた息を最後まで吐き切るように本を閉じたとき、作者や他の評者に怒られても良いから祈りを込めて書きたいと思ったのだった。暗く、重たく、厳しい歌集の中で溌溂と輝くこの歌のことを。
歌は、「あなた」への優しく温かな思いが感じられる四首の連作「よい晩夏」に含まれている。歌集の最後に置かれ、締めくくりを任された連作だが、そこに至るまでのページには苦しい歌が並んでいる。
梅崎実奈さんはこの歌集を<暴力的なものとそれを受け止めるしかない心と身体の苦しみを中心に描いた歌集>(「ねむらない樹 Vol.9」)と言い表している。
中でも父のことを詠んだ歌は暗たんたるものが多い。
父の暴力にさらされた日々がうかがえる。特に幼少期はものすごかったのではないか。作中の主体には、ほかの人のようにまともな幼少期を過ごせなかったという思いがあるように読める。
自分には幼少期が欠落している、極端に言えば幼少期を経ていないという感覚があるのだろう。<こども時代のわたしよ育て>が切なる願い、叫びに思えてならない。
こうした歌に寄り添うように、支えるように湖という語を用いた歌が多く登場する。宍道湖を身近に感じながら暮らしてきた作者にとって、湖はきっと重要なモチーフとなりえたのだろう。心を映す鏡として、なんとも言い表せないものを託すものとして、そして自分自身を投影するものとして。
しかし海のようには開かれておらず、また川のように流れ続けることもない湖は、抑圧の象徴のようでもある。生きてきた辛さが、生きていく苦さが、どうしようもなくやり切れない思いが流れ込んでいる。そんな湖をずっと抱え続けてきた。
だからこそ、今回のこの歌はすごい。
「あなた」によって、湖から海へ視線が変わったのだ。これまでずっと抱えてきた湖という閉じたものから、海という開かれたものへ。まだ誰も、自分でさえも足を踏み入れたことのない手付かずの海。気づいたのではないだろうか、自分の中のまったく新しい感情、新しい自分ともとれるものがあることに。
それを解放と言ってしまうのは安易だろうか。川野芽生さんが栞文で<安易な救済や解放のストーリーの誘惑を振り切って、檻に囚われ続ける>と歌集を評しているように、傷は残り、付き合い続けなければならない身体と心もある。いつだって人生は、経験したことの先に伸びていくものであるならば、簡単に解放とは言い切ってはならない気がする。
ただ、海の発見が解放そのものとは言えなくても、その兆しではあるとは思いたい。自分の中に見つけた海が、それをありったけ輝かせるという行為や思いが、これまでを、そしてこれからを癒していくものとなると良い。
そうして詠まれた歌が、いつかまた歌集にあったら。
そういう祈りだ。
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