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第5回 人は誰しもバックヤードを持っている

分かり合えないこと、自分の中だけにとどめておくこと、あえて教えないこと、見せないようにしていること。
人は誰しもが、他人には見せないバックヤードを持つ。

眠る頃ふと思い出すあの二人バックヤードでキスをしていた

真島朱火さんの短歌集『星に願いが届くころ』に、ファーストフード店でのアルバイトをテーマにした3つの連作からなる「バックヤード」という章がある。そのうちの1つ、連作「キスをしていた」から、今回の一首、そして「バックヤード」という一連の作品を手掛かりに、作者の短歌世界の変化や深まりに思いを馳せていきたい。

真島朱火さんの短歌集『星に願いが届くころ』

前作の短歌集『月の食べかた』から約1年ぶりとなる真島さんの新しい歌集だ。
初めの章である「モノローグ」では1ページに2首と組み方がゆったりだが、次章の「ノンフィクション」から1ページに3首と行間が詰まり、ぐいっと世界に引き寄せられる。
読み進めるうちに、あれ、「僕」が消えたなと感じた。
前作は、作中での一人称に「僕」がよく使われている印象だった。

生きづらい世の中になりましたねと傘に隠れる僕と灰皿

連作「水面の熱帯魚」より(短歌集『月の食べかた』)

もちろん今作に「僕」の歌が皆無というわけではない。

僕たちの願いが星に届くころあなたも消えてしまうのでしょう

連作「ミモザの光」より(短歌集『月の食べかた』)

表題に取られているこの歌を含めて歌集の中に「僕」の歌は3首。すべて連作「ミモザの光」の中にあって、明らかに数が減っている。
あとがきでは両歌集ともに「私」が一人称だったから、「僕」は意図的に使われていると言ってもいいだろう。「吾」や「我」ではない微妙な感覚が、「僕」に凝縮されている。
例えば「君」や「あなた」という相手と自分のことを、基本的には「私たち」とは言わず「僕たち」「僕ら」としている。なんだか仲間や同志のような感じ。けれど、

造花でも花はきれいで私たち夫婦のように見られてしまう

連作「つよがり」より(短歌集『星に願いが届くころ』)

この一首のように夫婦という男女のイメージがはっきりとしている時には、「私たち」としていて、この使い分けに作者のこだわりがうかがえる。
だからこそ「僕」の少なさに敏感にさせられた。
いや、おそらく「僕たち」が減ったのだ。それに伴って「僕」も減った、そんな気がする。
もしかしたら前作から今作までの間に、作者がより自分に目を向けるようになったのかもしれない。【「君」や「あなた」と自分】という複数を主語にせず、「私」を主語にすることで、相手や世界との関わりをさらに深く描くようになっていったとも考えられる。

そんな中で生まれた「バックヤード」は、ある意味では象徴的な章であると思う。
「神の素質」「救えない」「キスをしていた」の3つの連作は、ファーストフード店で働く者の視点で紡がれる。
僕自身、ココイチ、東京駅の牛タン屋などの飲食店でアルバイトをしていたことがあるので、もう共感の連続だった。

厨房は戦場らしいできるなら私は誰も殺したくない

タイマーが三つ同時に鳴ったとき神の素質を試されている

そう長く続かないのを知りながら春のレシピを全部覚えた

シフト表の名前がどんどん上にきて私もいつか消えてなくなる

連作「神の素質」より(短歌集『星に願いが届くころ』)

ピークタイムの厨房の綱渡り感、ほんの数週間しかない限定メニューに振り回されること、入っては辞めていくスタッフの入れ替わりの早さに気づけば自分がキーマンになっていること、そして自分も卒業をしたら辞めていくこと。学生時代のアルバイトの様々な場面や葛藤、またアルバイトを通して知っていく現実、得ていく人との関わりと終わり、それらが素晴らしく的確に描き出されている。
アルバイトが全てだったあの頃の日々を、ありありと目の前に映し出されるようだ。

やられてもやり返せないクレームが今日もフロアに染みついていく

連作「救えない」より(短歌集『星に願いが届くころ』)

接客業は、時に悪意を受ける。
必要のない敗北を味わわされることもある。
それでもたまにはお客さんの何気ない心づかいに触れて嬉しいこともあるし、必ず目を見てお礼を言うとか、大切にしている心がけがあったりもする。でもそれは、同じ経験をした者同士でしか共有できない感覚だ。

レジ打ちをしたことがない友だちと分かり合えない優しさがある

連作「キスをしていた」より(短歌集『星に願いが届くころ』)

バックヤードも、入ったことのある人間にしか分からない、なかなか人とは共有できないものの1つだろう。
お客さんと接する売り場とは一線を画した場所であり、関係者、つまり“分かる人間”しか存在しない空間。レジカウンターを挟んだこちら側、不可侵の領域。ただ訪れるだけの者には見せない秘密の場所だ。

眠る頃ふと思い出すあの二人バックヤードでキスをしていた

連作「キスをしていた」より(短歌集『星に願いが届くころ』)

ここに詠われた二人がバックヤードを選んだのも、他のスタッフには見られないようにとの思いからだろう。そしてそんなバックヤードでの経験を経て、また厨房に出ていくし、お客さんと接する。
ファーストフード店が舞台だからこそ売り場とバックヤードというオモテとウラの対比や落差、二面性みたいなものが際立って見えるが、実は普段の生活も同じなのではないだろうかと思わされた。
仕事を終えれば家に帰るし、職場の人には決して知られることのない、「君」との生活があったり、一人だけの思いがあったりする。友達や「君」にすら見せない部分もあったりする。
人には見せない内面や生活の空間、そして「君」や「あなた」にすら見せない不可侵の領域、つまりバックヤードの存在が歌の底に意識されたことで、「僕たち」という複数が減っていったのかもしれないし、「バックヤード」という一連の連作が生まれたきっかけの1つとなったのかもしれない。
でもそれは、読者には本当には分からないことだ。
確信を持って言えるのは、どちらの歌集も素晴らしく、大切に読み続けていきたい歌がたくさん収められているということ。そして早くも次の歌集が楽しみであること。
これからも読み続け、読み継いでいきたい。

真島朱火さんの短歌集『月の食べかた』

ちなみに『月の食べかた』と『星に願いが届くころ』には、どちらにもレシートの歌がある。このレシートは、両歌集を通じて、モチーフとしてはどうやら変わらないようだ。
どちらも味わいがあって、どちらも好きだ。
どんな歌かは、ぜひその目で確かめてほしい。

書誌情報
真島朱火さんの短歌集
『月の食べかた』
『星に願いが届くころ』
https://shuca-m.booth.pm/

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