地方の田舎町から東京へ

 東京へ引っ越すことにした。「引っ越すかもしれない」という可能性を携えて調べはじめたら、トントン拍子に事が運んで条件が整い、実際に引っ越すことになった。わたしはいま地元である九州のとある田舎町に暮らして12年になる。ちょうど干支が一周するほどの期間、地元にいたことになる。それ以前は大阪にいた。大学進学と同時に転地して、しかし当時は心身を病んでいて、休学したり留年したりして、6年間在籍した。大阪という土地が性に合わなかったのかもしれない。

 そんなわたしがなぜいま東京へと引っ越すのか。端的に言うならば、自分と波長が合う人やものへのアクセスが良いということだろう。地元の人たちは優しくて親切であたたかい。大好きな人がたくさんいるけれど、わたしはそれでは飽き足らず、東京をはじめ日本各地にいる人たちとインターネットを介してオンラインで交流をしてきた。この数年、仕事などで東京へ足を運ぶ機会が増え、そのうちの複数の人たちと実際に会って親交を深めてきた。

 その人たちは概して文化系で、普段から文章を書いたり絵を描いたりしている人も多い。わたしは子どもの頃から文化的なものが好きで、そういったものに触れていると理屈じゃなく安心する。もちろん文化的なことが好きな人は地元にもいて、そういう友人に恵まれもしたけれど、なんだかここ数年、「地元を出たいな」と思う瞬間が増えた。

 わたしの地元は美しい。空が広くて、きれいな川が流れている。市民農園を借りて畑をやって、そのことをエッセイに書いてzineとしてまとめたりもした。だけれど、インターネットで出会った、東京から奄美に移住したおもしろいおじさんから「土に呼ばれるのは30年早いよ」と言われて、なるほど確かにそうかもしれないと思った。この生活を死ぬまでずっと繰り返すのかと思ったらうんざりした。土をいじること自体は東京でも続けることができるし。

 初めて地元を出るまでの18年間と、帰ってきてからの12年間、合わせて30年間(!)地元で暮らしてみて、地方の田舎町にこれほど長く暮らしたからこそ、都会の、しかも首都で暮らしたいと思っているのかもしれない。対概念の両方を知らなければ、どちらか一方のことも知ったことにはならない気がする。この仮説が正しいかは、暮らしてみないと分からないけれど。

 そして息子にも、おもしろい大人たちや文化的な刺激に囲まれて生活してもらいたいという願いがある。うちの息子の良さを引き出すには、芯を持って楽しく生きている大人との出会いがいちばんではないかとわたしは考えている。わたしにとって東京こそが、そういう大人がたくさんいるまちだ。

 最後に、何を隠そう、東京はわたしの愛する恋人の暮らすまちだ。彼がいるから東京へ行くというと少し齟齬があるのだけれど、大きなきっかけとなったことは否めない。地元と東京という、1,000km以上もある遠距離恋愛を続けていくことを考えると、ちょっと途方に暮れてしまいそうになるけれど、同じ東京にいられると思えば、ぐっと一緒に居続けることへの現実味が増す。わたしが「地元を出たい」と地元にいる自分への不満を吐露すると、「出なよ。話を聞いていると、自由を制限されている気がする」と恋人はあっさり言った。

 引っ越しに向けて断捨離をしている。心のどこかでずっと気になりつつ押し入れの奥や部屋の片隅に放置し続けていた、壊れたテレビやパソコン、壊れかけて使わなくなったコタツやイスを処分するきっかけになったから、大変だけど10年に1度は転居した方がいい気がしてくる。そうでもしないと余分な物を一掃できない。引っ越しは必要なものを見極めるいい機会だ。身軽になって、わたしは新しい土地へ移る。


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