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人に頼れるってなかなか幸せだという話(延岡市子育て支援センター・おやこの森に寄せて。小澤のり子先生への手紙)

小澤のり子先生との出会いが
つらい産後を支えてくれた

私の子は私に素晴らしい贈り物をくれた。それまでずっと、孤立するような寂しさを感じていた私に、子が私の元に生まれてくることで、もう一度社会とつながるきっかけをくれた。

子と出会うずっと以前、20代の半ば頃まで、私は人に「頼る」ことがものすごく苦手だった。

自分の抱える悩みは自分固有のものだと思い込み、人に悩みを話したり相談したりすることがなかなかできなかった。限界まで自分の中にいろんなものを溜め込んでは自滅していたように思う。

自分一人で何でも解決できるのが大人だと信じ込んでいた。その頃、私はいつも寂しかった。

出産後入院中、ぐちゃぐちゃになったホルモンバランスのせいか、私は些細なことで涙が止まらなくなった。

当時勤めていた会社の総務担当者から申請書類をもらってきてくれた夫に「これ書いて。」と言われ、「私は出産したばかりでこんなに大変なのになんでそんなことを言うの。」と言って号泣し、夫を困らせた。

子がもう自分と同じ体じゃない、ということがたまらなく寂しかった。それを吐露すると夫は「この子が目の前にいるのに、変な人だね。」と困った顔で笑った。

数日はそんな調子で一日に何度も大泣きして過ごした。夕方、夫が会社帰りに病院へ寄ってくれるのを心待ちにし、夫が自宅に戻ると不安に押しつぶされてしまいそうで苦しかった。退院後の事が不安でならなかった。

実家の母は事情があって手助けできないと言う。夫の実家も手伝ってくれそうになく、夫と二人、本当に息子を育てていけるのかと不安だった。

そんな私のもとに現れたのが地元・延岡のグレートマザー、小澤のり子先生だった。私は今もあのときの先生の姿をよく覚えている。

華奢な体にまとった洋服がとても素敵だった。首に柔らかな色合いのスカーフを巻き、膝下丈のスカートは空気をはらんでふわふわと揺れていた。その立ち姿は後光が差しているように見えた。

これは大げさに言っているわけではなく、本当にそう見えた。

不安定な私を見かねた看護師さんが先生に連絡を取ってくれたのかと思っていたが、そうではないらしい。

数年経った後に先生が言うには、「黒木さんが自分で連絡をくれたのよ。」と。全く覚えておらず驚いた私に先生は言った。「大丈夫。私がちゃんと覚えているから。」と。

日々生きるのに必死で物事の細部を覚えていないお母さんは多いのだと言う。そんな私たちを見守り、その姿をずっと覚えてくれている人がいると思うと、心に安心が広がった。

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小澤のり子先生と
延岡市子育て支援センター・おやこの森について

小澤のり子先生は延岡市の子育て支援センター・おやこの森の施設長だ。おやこの森は平成12年に延岡市内の認可保育園がお金を出し合って設立。病後児保育事業やファミリーサポートセンター事業など、市内の子どもたちとその親御さんへのさまざまなサポート事業を担っている。

子どもやその親を支援する施設は全国にあるが、おやこの森は本当に素晴らしい。スタッフさんたちは、利用者を信じ、善の心で利用者のために動いてくれる。

たとえば子どもを一時的に預かってもらおうと思ったとき、他の施設では人手不足や資金不足など様々な理由で簡単に(と利用者である私は感じてしまう)受け入れを断られてしまうことも多いが、おやこの森ではなんとか受け入れを可能にしようと動いてくださるのが伝わってくる。

結果的には無理なこともあるが、なんとかしようとしてくださるその気持ちがとても嬉しいし、心から信頼できると感じる。

延岡で子育てしている親御さんでおやこの森を誇りに思っている人に私はよく出会う。その中核にいて采配を振るっているのがのり子先生だ。

先生はいつも笑顔だ。

緊急の対応に追われ、対象の家庭を訪問するために不在にしていることも多いし、おやこの森にいるときもお母さんたちや行政など関係機関からひっきりなしに電話がかかってきて対応している。

なのに、私がいつ電話しても張りのある明るい声で「黒木さーん!こんにちは!」と電話の向こうで微笑んでいるのが分かる。その声を聴くと、どんなに落ち込んでいてもハッとして安心する。安心して泣いてしまうときもある。

先生はいつも「ありがとう。」と言う。

頼ってしまって申し訳ないという私に「話してくれてありがとう。」「おやこの森に来てくれてありがとう。」と言う。「黒木さんは大切な人よ。」と笑う。その言葉にどれだけ助けられてきただろう。

先生は可愛い。

配色が素敵なスカーフと長めのスカートをいつも身に着けて、華奢な体で動き回り、顔をくしゃっとさせて笑う姿は可憐で、まるで少女か妖精のようだ。子どもたちと接するときもその可愛さのまま無邪気に楽しんでいるように見える。

プライベートでは三つ子を育て上げたすごいお母さんだ。先生が旦那さんのことを話す口調からは心から旦那さんを愛していることが分かる。旦那さんももちろん先生のことを愛しているだろうことが数々のエピソードから伝わってくる。

先生はまさに愛の人だ。私たち延岡の親子たちをその愛で見守りそっと包んでくださる。

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これまで、先生の前で私は何度泣いただろう。

配偶者と生活を共にしていた家を出たときも、家が定まらない状態で調停の手続きを進めているときも、離婚が成立したときも、その後子との二人暮らしが想定以上に大変で苦労している今も。

幾度となく泣きながら電話し、必死の思いで先生のいるおやこの森にたどり着いては先生の前で泣いた。

苦しいときに私の心に思い浮かぶのは先生だ。これまで具体的に何をどんな風に話してどんな言葉をかけてもらったのか、詳しくは覚えていない。

だけど、頷きながら話を聴いてくれる先生の笑顔は私の心に深くしみ込んでいて、窮地のときに私を助けてくれる。

おやこの森の「当事者の会」

おやこの森には「発達の会」「双子の会」「シングルカフェ」など様々な当事者の会がある。当事者であるお母さんたちが集まって、日頃の苦労や悩みを語り合い、情報を交換し合う場だ。

私もいくつかの会に出席しているが、この会もまた素晴らしい。それぞれの置かれた状況は異なるが、場を共にし、語り合い、時には涙し合う。

お母さんが別のお母さんのために涙を流す場面に出会うことも少なくない。ここに来れば何でも話せる、と心の拠り所にしていると話すお母さんも多い。

そうした中で、お母さんたちとのご縁が少しずつ広がって、私にも子を持つお母さんたちとのつながりができてきた。私はひとり親なのだが、最近、日頃の苦労を分かち合える同じひとり親の友人もできた。

子と二人きりでいるのがつらいときはおやこの森に行けば、スタッフさんや利用者の親子たちに囲まれて安心して過ごすことができる。

風が吹き抜ける高い天井の下で、裏山の木々を眺めていると、ささくれだった心が穏やかに凪いでいくのが分かる。

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人に頼って生きることはいいものだと
おやこの森・小澤のり子先生が教えてくれた

いま私が感じるのは、人に頼って生きることはなかなかいいものだということ。

いまの私には人とのつながりの中で生きているという実感がある。おやこの森から始まったご縁は徐々に広がって、まちの人たちに見守られて暮らしているという安心感がある。

私が特別なことをしなくても私を好いて大事にしてくれる他人が複数いることはこれほど安心感のあるものなのかと驚きながらも幸せでいる。

ずっと人に頼ることができずに自滅してきた私は、だからこそ、息子を授かって人の命を預かる身になり、ここで頼らなくては子もろともに自滅してしまうという危機感で、おやこの森を頼った。

頼りたいと思ったときに頼る先があってよかった。頼った先がおやこの森でよかった。

苦しいとき、人は何らかの形でSOSを発するのではないかと思う。おそるおそる差し出した手を無残にも振り払われるようなことがあれば、その人はもう二度と人を頼ることができないかもしれない。

勇気を振り絞って差し出したその手を温かい両手で包み返してくれる人がいたなら、その人は人に頼ることができるようになっていくことだろう。少しずつ、その繰り返しで。

若い頃の私に足りなかったのは、人を頼って受け止めてもらうという経験だったのかもしれない。手を振り払われることが怖くて頼ることができなかったのかも、といまは思う。

だから、願わくば、SOSを発した時に温かく受け止めてくれる施設が日本中に増えたらいい。利用者にとって頼れる施設かどうかは、そこがすべてのような気さえする。

繰り返しになるが、のり子先生はいつも「ありがとう。」と言う。先生の態度には「利用者のために尽くしている」という感じはない。子どもたちを愛し、子どもたちとその未来を思っていて、その思いは利用者であるお母さんたちも同じであるに違いない、と信じていると私は感じる。

だからきっとのり子先生にとって利用者は仲間なのだと思う。子どもたちを信じ、その未来を形づくっていく仲間で、だから「おやこの森に来てくれてありがとう。」という言葉になるのだと思う。

お母さんたちが頼ってくれて、おやこの森も幸せだよ、と先生は言っているのだと思う。

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のり子先生やおやこの森を慕う人は多く、おやこの森で活動したいと申し出る人は絶えないらしい。施設の性格上、参加費等を取ることはできないため無償での活動となるが、それでもむしろ無償で活動したいと名乗り出る人が多いのだという。

私は必ずしも無償であることを賛美するわけではないが、それはきっと、のり子先生をはじめとしたおやこの森のスタッフの思いが伝播し、自分にできることをできる形でしたい、おやこの森に恩返しがしたいと思っている人が多いからだろうなと私は思っている。

私もおやこの森で本のイベントをしたことがあるが、その活動を通してお金に換えられない財産を活動者が得ることも事実だ。ここにはお金を介在しない心のこもった贈り物の贈り合いが存在している。

ここに集う人たちはごく自然に頼り頼られる喜びを知ることになる。現に私がそうであったように。

日本中の子育て支援施設がおやこの森のようであったらいいと思うし、もっと社会が頼り頼られて生きられるようになるといいと思う。

おやこの森の中庭には石碑が立っている。その石碑に刻まれた言葉を紹介してこの文を終わりたい。

あとからくる者のために / 田畑を耕し / 種を用意しておくのだ / 山を川を海を / きれいにしておくのだ / あああとからくる者のために / 苦労をし我慢をし / みなそれぞれの力を / 傾けるのだ / あとからあとから続いてくる / あの可愛い者たちのために / みなそれぞれ自分にできる / 何かをしてゆくのだ (タンポポ堂 真民)

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おやこの森についてもっと知りたい方はこちら

おやこの森ホームページ

【インタビュー】おやこの森 小澤のり子(延岡市駅前複合施設エンクロスホームページ内)

「頼りにされる子育て支援拠点 宮崎県延岡市の保育所が共同運営」(福祉新聞 2016年5月27日)

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