見出し画像

「一日一いじわるチャレンジ」の必要性について

 日ごろから「この人とはなんだか相性が合わないな」と思いつつ、距離を取りきれないでいる人がいる。そんなとき、直接その人のことを言っているわけではないけれど、その人に当てはまる痛快な批判を他人が言い飛ばすのを聞くのは、正直言って気持ちがいい。一人でその人のことを思い出してニヤニヤする私は、なんて意地が悪いんだろうと思う。だけど、そんな自分のことを私は嫌いじゃない。

 むしろ誰かに対してチャーミングに悪態をつける人には憧れがある。たとえば『ムーミン』シリーズのリトル・ミイだ。彼女には不思議な愛嬌がある。決して王道の愛されキャラではないのに、愛されている。人に悪態をつくには本質を突くという高度なスキルが必要だ。だから私もミイに憧れるし、少しでも自分もそれを取り入れたいと願う。

 でも昔は違った。潔癖で真面目な面がある私は(もちろんだらしなくて不埒な面だって持ち合わせているけれど)、いじわるは悪いことだとずっと思って生きてきた。それは生まれ持った性質のせいなのか、生まれ育った環境のせいなのか、はたまた日本社会にしみ込んだ道徳規範のせいなのか、分からない。

 ともかく、そんな私だからこそ、日常にいじわるな気持ちを持ち込むという実験をするのも良いかもしれない。実際に行動に移さないなら、心の中でどれだけいじわるな気持ちを持ったって自由だ。今の私にとってそれはなかなか難しいチャレンジだからこそ、一日一善ならぬ、「一日一いじわる」の実践が必要な気がするのだ。

 だって、今までずっと、自分にいじわるをしてくる人のことさえも嫌いになれないくらい、誰に対しても平等でいなきゃと思って生きてきたのだもの。思い出すのは、高校生のときのことだ。学校に女ボスのような人がいて、その人がある日私にこう言った。

 「私、萌ちゃんのことな~んでも知ってるよ。」

 ああ、思い出すだけで忌々しい。当時私は、高校生にしては長く続いた恋の終わらせ方が分からず、元彼と揉めていた。おそらく、彼女はその詳細をある程度聞いて知っていて、それを私に知らせたかったのだと思う。不快だったけれど、それに対して私は何も言い返すことができず、その後もほかの友人たちに接するように彼女に接していた。

 そしてその後も長い間、彼女に対していじわるな気持ちを持つことを自分に禁じてきた。先ほど「忌々しい」と書いたけれど、そう思えるようになったのは、10年ほど経った後、20代のときの話だ。自分があの一言を「嫌だった」と認めるのに、それほど長い時間を要したのだ。

 つまりそれまで、無理のある平等主義を自分に強いてきたわけだ。でも私はそこから脱する必要がある。だから一日に一回くらいはいじわるな気持ちを持つことを許して欲しい。心の中に留めておくから。

 ここで断っておきたいことは、私は決して完璧な善人ではないということだ。ただいじわるな気持ちを持つことが苦手なだけであって、人を憎んだことはある。それも深く。35年も生きていれば、人を傷つけたことはあるし、人に言えない言動をしたこともある。

 それといじわるとの違いの一つは、悪意や憎悪の程度だと私は思う。いたずら、いじわる、愛憎と、だんだん悪意や憎悪が大きくなってゆくように私は感じる。おそらく私は、ネガティブとされる感情を自分のなかから排除しようとしてきたんだと思う。いたずらと愛憎のちょうど中間にある「いじわる」をうまく飼い慣らすことが、私には必要だ。

 「こうあるべき」と世の中でされていることや、自分が生きてきたなかで自分を縛ってきたことから、一旦精神的に脱してみる自由を、私はいつだって手にしている。ただそのことは普段忘れられがちだ。だからそれを思い出す試みの一つが、私にとって「一日一いじわるチャレンジ」なのだ。

 具体的には、その日出会う人やもの、出来事に対して、心のなかでいじわるなツッコミを入れること。長谷川町子著『いじわるばあさん』をバックの底に仕込めば、さあ勇気が出るはずだ。

 たとえば今私が高校生のときの彼女に会ったとして、どんな形でいじわるができるだろうか。もしも当時に戻れたら、どんないじわるをしようとするだろうか。

 「萌ちゃんのことな~んでも知ってるよ」に匹敵する何か。

 靴に画びょうを入れる? いやそれは行き過ぎているような気がする。引き出しの中に嚙み終えたガムを入れる? いやいやそれは陰湿ないじめではないか。自転車をパンクさせる? いやいやいやいやそれは犯罪だ。そもそもすべて心のなかにとどまらずに、行動に移す時点で、いじわるの域を超えている。

 いろいろと考えてみたけれど、結果分かったことは、意図的にいじわるな気持ちを持つことはなかなかむずかしいということだった。いじわるな気持ちというのは自然と湧くもので、持とうとするものではないのかもしれない。いじわるってむずかしいなあ。


 そうそう一つだけ。この文章に出てくる彼女が誰か、私は一言も書くつもりもないし、誰かに言うつもりもないけれど、私はず~っと覚えているからね(^_-)-☆

いただいたサポート費はよい文章を書くために使わせていただきます!