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新春(「歩っぽ」より)

ずっとこの人に会いたかった、と私は思った。じわっとしみた言葉のしずくが、胸の中で波紋を描いて広がり、目からほろほろとこぼれ落ちた。それを人差し指で拭いながら、人の指腹はなんと柔らかくて温かいのだろう、と私は他人事のようにぼんやり思った。

彼女は木で作られた食台の向こう側にすっと立ち、体と目線とを私の方に向けている。私の目には彼女の姿がぼやぼやとにじみながらも、透明な光を放っているように見えた。おそらく口角は形よくきゅっと上がり、目元は軽やかにほほえんでいるだろう。彼女は口を開くと、食台に座る私に静かにしかしさやかに届く声でこう言った。

「幸せでありますようにって祈るんです。」

そっと手を合わせる彼女の姿が美しく安らかで、私は思わずはっとする。一層ぼやけて狭まっていく視界を感じながら、私はそっと目をつむって手を合わせた。手の平の温もりを感じながら、心の中で唱える。あの人が幸せでありますように。
 
目を開くと、いつの間にか彼女が水を注いでくれていた。それを含むと、口の中にゆるやかに広まった。常温でやわらかく甘やかな水だ。美味しい、と私は思う。無自覚に乾いていた心身にしみわたっていくようで、心地よい。

祈ることは人生に即した自然な動きだ、と私は考える。思えば、祈るという行為をどこか特別視してこれまで生きてきた。祈ることは心の自然な表れでありながら、そうする者を救うのだ。

今日も私は軽く目をつむって手を合わせ、心で唱える。ありがとう。あの人が幸せでありますように。


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