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知らぬ道を歩む子よ

 子どもの良さをつぶさないでいたい。私は親になって以来、切実にそう思いつづけてきた。思い過ぎて自分を追い詰めたことさえある。最近の私はどうだっただろうか。

 お子は来年小学生。目下、虫捕りに夢中で、図鑑が大好き。相変わらず日々おもしろそうに生きている。それを見守る私の心はどうかというと、正直に言って、不安でいっぱいだ。

 何が不安か。学校になじめるのか。勉強についていけるのか。

 天真爛漫で、どこへ行ってもマイペースなお子にとって、たとえ「学校」だからといって集団生活を楽しむことは容易なことのような気がする。勉強が少しくらい難しくたって、日々楽しく過ごして笑顔で帰ってくるお子を想像することは簡単だ。

 どちらも「私が」勝手に不安に思っている。

 私が学校のやり方になじむことができるのだろうか。お子が勉強についていけなかったとして、それを私は受け入れることができるのだろうか。

 特に後者について、自慢ではなく、不安な気持ちの所以を説明するためにいうと、私は勉強がものすごく得意だった。小中学校の頃はほぼ100点しか取ったことがなかった。だから、もしも自分の子が勉強が不得意だったら受け入れられないのではないか、と危惧しているのだ。

 不安な気持ちは、焦りに代わり、通信教材のリサーチなどしたりした。それが自分の心を慰める行為だという自覚もなしに。

 おかしな話だ。私の人生は、私が小中学生の頃の成績が良かったからといって、決して「成功」なんてしていやしない。そこそこ幸せではあるが。

 たぶん私は、お子が自分の知らない道を歩いてゆくことが不安なのだ。

 子どもの良さをつぶさないでいたい。今もそう思っている。不安な気持ちは私の荷物。自分の荷物は自分で持とう。

 「ママ、ずかんかって(くれて)ありがとう」。お子のまっすぐで素直な目が私を見つめる。大丈夫、この子は私が思うよりずっと素敵に育っている。

 この先お子はきっと私の知らない景色をたくさん見せてくれることだろう。私の知らない人生を、世界を、私に教えてくれることだろう。


 

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