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”読書会”という場を通して”多様性”を大事にしていく方法を探っている(のべおか読書会について)

0.のべおか読書会とは

はじめまして。
私は地元・宮崎県の北部にある延岡市で「のべおか読書会」を主催しています。

読書会とは、端的にいうと、本を介した対話(おはなし)の場だと私は考えています。私はこれまで、読書会を通して多様性を大事にしていく方法について探ってきたような気がしています。

今この文章を読んでくださっているあなたはどんな方なのでしょうか。

読書会に興味のある方ですか。
本がお好きな方ですか。
それとも場づくりに関心の高い方でしょうか。
多様性を大事にしたいと願っている方でしょうか。

どんな方でも、お読みくださりありがとうございます。

私は「のべおか読書会」を始めて今年(2019年)で3年になりますが、その根底にある思いなどについて、今日はお話ししたいと思います。

1.読書会(やりたいこと)を
はじめたきっかけとは

2016年、私はとある一冊の本と出会いました。

読者にたくさんの問いを投げかけるその本を読んで私はこう思いました。

「自分の人生を納得して生きたい」。 

あなたにもそういう経験はありますか。

私はそのとき「やりたいことリスト」を書きました。
その中に「読書会」がありました。

「物事を深く考えるため」
「自分一人ではなく誰かと一緒に考えるため」
「様々な価値観を語り合い分かち合うための場をつくるため」
に読書会をやりたい、というのが最初にあった思いでした。

2.やりたい思いを行動に移すときに
大事にしてきたこと

私はこの数年間、大きく分けて、”教える”、”企画する(つくる)”、”書く”の3つの領域で活動をしてきました。

「のべおか読書会」の活動は「つくる(企画)」の領域にあたります。

これまで不定期に読書会を行ってきた他、

旅する個人図書室「ひらく」
放浪書房トークイベント
ノベオカ一箱古本市(共催)
メン読書会(共催)
読書キャンプin須美江~ふだんの肩書きは捨て置いて、海辺で読書、いかがですか~(共催)

などのイベントを行ってきました。

細々とした活動ながら、自分なりに信念を持って活動してきました。

たとえば、
・できない理由を探すのではなく、今できる形で始めること
これだと思ったら直感を信じてやってみること
小さくとも確実な充足感を追求するなどぶれない軸を持っておくこと
などです。

活動を続ける中で、この先大事にしていきたいことについても深く考える機会が数回ありました。
その中のキーワードの1つが”多様性”です。

3.のべおか読書会が
多様性を大事にする理由とは

人と人とは、本というツールを介すことで、通常よりも優しく賢く対話(おはなし)できるように、私は感じます。

だから人々が集って語り合う、読書会という場があるといい。
本を通して異から同を知り、同から異を知って、
「この人は私と違いはあるけれど、おんなじ人間だ。」
と認め合うきっかけの場になったらいい、と願います。

それがきっと多様性を分かち合うことに繋がっていきます。

そうすることで、この読書会に集う人たちが、たとえそれぞれの人生の中で困難に直面して悩んでいたとしても、ここに来れば一人じゃないと思えるような、弱ささえ分かち合えるような場に、ここに来れば小さいけれど確かな充足感を感じられると思えるような場になっていったならいい。

「多様性」を大事にできる世界は万人に優しい世界だと私は信じます。

4.私が読書会をはじめる前のお話

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ここで少し、主宰・黒木萌の自己紹介をさせてください。

地元で幼少期から18年間を過ごした私は大阪の大学に進学しました。
人は3つ以上の変化が重なると精神を病みやすくなるといいます。
転地・大学進学・一人暮らしとはじめてのことだらけだった私もそうでした。

当時の私は、何をしてもできないことばかりに目がいき、人と自分を比べて、人が自分より優れて見えてしまっていました。

休学・留年を含む6年間の大学生活は私にとって、当時まさに地獄でした。
それでも支えてくださった人がいたからこそ今の私があるのですが、一方で多くのものを失いました。少なくとも当時はそればかりが目について、失意のどん底で帰郷しました。

私には二人の恩人がいます。


一人目は地元大学の先生です。
先生はいつも私に

「君は何を考えた?」

と問いました。言葉に詰まる私に繰り返し問うてくださいました。

先生との出会いが私の思考を本当の意味で始めさせてくれました。
それが今の活動にもつながっています。

今振り返ると、
「君に今起きている事象が思考の始まりとなり得るのだよ。」
と教えてくださったように感じます。


二人目はとある陶芸家のお姉さんです。

彼女は今と比べると流暢に話すこともできない私をありのまま受け止めてくれました。

そして文章を書きたいという私にこう言いました。

「書いてみたらいいじゃない。
立ち止まって考えているあなたの考えを知りたい人はきっと沢山いるわ。」

この言葉を聞いて私はとてもうれしかった。
その感動が私に書くことを少しずつ促し、そして今の私の活動にも繋がっています。


このお二人がいなければ、おそらく今私は読書会をしていません。

失意のどん底にいた私が少しずつ自信を取り戻していくのに、地元・延岡にいたお二人が力を貸してくださいました。
心から感謝していますし、お二人のような大人に私もなっていきたいです。

5.そんな私の心の奥にある思い

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少々個人的な話をします。

私は5人家族に育ちました。
厳格な芸術家の父と、規範意識の強い公務員である母、ダウン症で自閉症の姉、私からすると器用に見えた兄。私は5人家族の中で一番幼い者でした。

家族の中で常に優先されるのは姉でした。私は両親から、中でも父から可愛がられ感心されるために、期待に応えようと一所懸命だったように思います。両親はきょうだいで助け合って生きていって欲しいと願っていました。そう言葉にして兄と私に伝え、私たちもそれを何の疑問もなく当然のことと受け止めていました。

芸術家という父の職業は、私たちが住む田舎では珍しいものでした。今でも珍しいでしょう。

父の職業と姉の属性は私がマイノリティというものに関心を持つきっかけとなりました。また当時は無自覚だったかもしれませんが、障害児のきょうだいという自身のポジションを考えると、自らもまたマイノリティだっただろうと思います。

私は姉とそして誰より父(そして私自身)が無駄に傷つくことなく尊厳を保って平穏に暮らせることを祈って生きてきました。

そういうわけで、私は必然的に「多様性」を大事にしたいと思うようになったのだと思っています。なぜなら「多様性」を分かち合える社会というのは、マイノリティにとって生きやすい社会にほかならないからです。
そしてもちろんマジョリティにとっても

今の社会は十数年前と比べたらずいぶんと優しく感じる側面もあります。一方で、それが現実社会の隅々にまで行き渡っているかというと疑問を感じます。具体的な一人一人の人々が優しさに囲まれて生きられているかを考えてみると、みなさんの中にもそうでない人々や側面が思い浮かぶのではないでしょうか。

私には私にできることをできる形でしていきたい気持ちがあります。
それがたとえ微力にすぎないとしても。

 

「歌います」と言って大きな瞳をきらきらと輝かせ、マイクを持つ仕草をして歌う少女。
私の実家に眠る8ミリビデオに残る映像のワンシーンです。

この屈託のない少女は私の姉です。
姉は私の6つ上で、今年(2019年)で38歳になります。
今の姉にこの頃の面影はありません。具体的ないきさつを当時幼かった私は知りませんが、今の姉はほとんどしゃべりません。

時々、自分のつくっている場は、一部の人たち限定の場に過ぎないのではと思うことがあります。
もちろん悪いことをしているとは思いません。しかし、うまく話せない姉をも包み込めるようなあたたかさに満ちた場所を、いつか作れたならいい。

だからいつか形態は読書会という形じゃなくなるのかもしれません。

世界中の姉とそして父と私とが安らげる場所を私は作っていきたい。それは「穂高養生園」のようなものかもしれないし、「しょうぶ学園」のようなものかもしれない。もしかしたらもっと身近で全く別の形のものかもしれない。いずれにしても、それが私の最終的な夢です。


さいごに

今あなたはどんな風に生きていますか。

何か個人の活動をされていらっしゃる方なのでしょうか。
そういうことを問わずとも、日々を懸命に生きていらっしゃる方なのでしょうね。

あなたの思いの根幹にあるものはなんですか。
もしよかったら、こっそり私に教えてくれたらうれしいな。

いつか、いつでも、お話しできることを心待ちにしています。


関連ページ:「自分を嫌いだった私が自分を好きになったワケ



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