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日記(排除しない)

異邦人、というのは周りがそう決めたわけではなくて、私自身がそれを望んでいるのかもしれない、とふと思った。

もっと正確に言うと、物心ついた頃からずっとそんな風に生きてきたからそれが自分にしみついている、というか。その生き方しかどうやったってできない、というか。

たぶんこれは私がどこに行ったって、行かなくたってついて回ることで、それによって周りにも違和感を与えるかもしれない。

だけどこれはもう考えたって仕方のないことで、それはそれと割り切って、その上で自分の居心地のいい場所を見つけていったりつくっていけばいいわけだし、そういう私の役回りというものもあるはずなのだ。

学校になじめない教師には同じような子どもたちの存在を認めて見つめるという役回りがあるように、まちや地域にだって、どこかのコミュニティだって同じことが言えるのだと思う。

だから少数派だとかなんだか違和感があるとかなじめないとか、そういうことに怯えたり引け目を感じる必要はなくて、これが私なんだと堂々としていたら、きっと大丈夫、とそういう気がした。

どんな人だって排除したくない。去るのは自由にしたらいいけど、来るのだって拒まないよって、いつだってそんな風に生きていたい。

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