日本語の歴史言語学の教科書を作りたい(妄想的構想)

この記事は,言語学な人々 Advent Calendar 2023 の12月22日の記事として書かれたものです。

ついこの前の土日,12月16日(土)と17日(日),南山大学で日本歴史言語学会の2023年大会がありました。1日目(16日)には,公開シンポジウム「日本語の歴史的研究と歴史言語学」が行われました。私が企画と司会,趣旨説明を務め,講演者は漢語アクセント史の加藤大鶴先生,文字表記史の尾山慎先生,文法史の小柳智一先生,の御三方(発表順)でした。オンラインと現地の同時開催で,合計70〜80名くらいの方に聞いていただけたと思います。ご参加くださった皆様,ありがとうございました。


さて,このテーマでシンポジウムをすることになったきっかけは,数年前に遡ります。
 指導教員であった先生が,京大言語の演習(学部生も院生も出るもの)の教材に,Bybee (2015) Language Change (CUP). を取り上げられました。何かの折にその話をした時に,あれは非常に良い教科書だ,とおっしゃっていました。そして,その後,ちょうど退職される年度にも先生は演習で Bybee (2015)を使われました。そして,これも何かの折にメールでやり取りをしていた時に,同じ教材を使われることが珍しかったので,またこの話題になりました。そして,その中で先生がこんなことをおっしゃいました。

日本の歴史言語学は未だに翻訳学問である。そういう状況では,日本語を材料にした歴史言語学の入門書・教科書を日本語で書くことが究極の目的である。そこに向かうプロセスとして,有益な歴史言語学の教科書をわかりやすい翻訳で提供し,それを雛形にして例を日本語にし,最終的には構成や内容も日本独自なものにする,ということが考えられる。

その第1段階,つまり,「有益な歴史言語学の教科書をわかりやすい翻訳で提供」は,小川芳樹・柴﨑礼士郎(監訳)(2018)『言語はどのように変化するのか』(開拓社)によって達成されています。ちょうど,今,ある人とこの本を読む読書会をやっていますが,私もこの翻訳を原文とつきあわせつ
つ,読んでいます。訳注も充実していますし,助かっています。

第2段階,つまり,「翻訳を雛形にして例を日本語にする」段階については,私の場合,先に言及した読書会でなるべく日本語の例を持ち出したり,授業の中で関連する現象を扱う時には日本語の例を探したり,ということを試みています。また,そのために,関連する書籍,論文なんかをちょっとずつ集めていたりします。

そして,そうやって色々なことを積み重ねていった先に,最終段階,つまり,「構成や内容も日本独自な」「日本語を材料にした歴史言語学の入門書・教科書を日本語で書く」段階にたどり着くことを,目指しています。ただ,ここ最近(2〜3年)は情けないことに,とにかく時間がなくて,具体的に何かできているというわけではありません。

ただ,そうとばかりも言ってられません。冒頭で述べたシンポジウムでも,日本語を材料とした歴史言語学の教科書を作ることを目指していると宣言しました。授業などでもそんなことを呟いていますし,私ももうすぐ不惑に届こうかというところです。

ということで,ここで今の私の決意的なものを述べておきます。
これからどれくらいかかるか分かりませんが,近い将来(2〜3年くらい??)に「日本語を材料にした歴史言語学の入門書・教科書」を書きます。これは誰かがやらなきゃダメだと思います。もう誰かが動いているのかも知れないし,誰かがやってくれるなら自分がやらなくても・・・という気持ちもなくはないですが,でも,何故か,私がやらなきゃなと,おこがましくも思っています。自惚れです,はい。

まぁ,お前なんかが書いたって,どうせまともなものにはならない,という批判があることは承知の上で,こっから,妄想的構想です。今のところ,内容は以下のようなものを考えています。

  1. 文献を使った日本語史の研究成果,近年進展しつつある諸方言の記述研究の成果にもとづく成果,さらには,言語地理学・社会言語学の成果など,国内で進められてきた言語変化に関する研究全体をカバーする

  2. 上記諸分野における言語変化に関する研究の方法などについても案内するような内容を含む

  3. Bybee 2015 のような変化の要因や背景などについての説明,類型論的・通言語的な観点からの考察も含む。そして,他言語の類例を含むことはもちろん,その中で,日本語の「特殊性」や日本語(諸方言)を研究する意味が伝わるような内容を盛り込む。

1 については,単に英語圏で書かれた歴史言語学の教科書の例を日本語の例に変えるだけではなく,例えば今回のシンポジウムでも取り上げられた文字表記の歴史や漢字音受容の歴史など,「日本語ならではとも思われる」内容を盛り込むのが大きな1つの課題です。また,柴田武などに代表される言語地理学的研究の成果や,戦後の国語研の研究や日比谷潤子先生のご研究に代表されるような社会言語学的研究(変異理論研究),ピジン・クレオールやネオダイアレクトなど接触言語・言語接触に関する研究といった,言語史研究のある意味でのメインストリームとも言える文献研究や比較研究とはまた違った言語史研究・言語変化研究の成果も盛り込むことで,言語変化に関する研究に様々なアプローチがありうることを示したいと思っています。朝倉書店の『朝倉日英対象言語学シリーズ[発展編]3 歴史言語学』(服部義弘・児馬修編,2018)や,R. L. TraskのLanguage Change(1994, Routledge)などが,大まかな内容としてはお手本になりそうです。その他,Herbert Schendl (2001)のHistorical Linguistics (Oxford Introduction to Language Study Series)は,Section 2のReadingsで,各テーマについてさらに考えるための論文や教科書を紹介するとともに,それらの文献の中から短い引用を提示するなどしていて,いい構成だなと思ったりしています。

2 については,単に教科書的にこれまで明らかになっている事柄を紹介するのではなく,その研究方法などについても可能な限り詳しく説明し,できれば,演習問題のようなものもつけて,この本を使う人が,自分で言語変化に関する研究を始められるようなガイドにしたいと思っています。その中で,文献資料の基本的な扱い方,音韻史研究における外国語資料の価値やその取り扱いについての注意点,コーパスのことなどに触れられればいいかと思っています。亀井孝や小柳智一先生が取り上げられる孤例の話や,写本の話,尾山先生が取り上げられた文字表記の問題なども含めれたらと思います。内容としてお見本になるのは,ひつじ書房から出ている『ガイドブック 日本語史調査法』(大木一夫編,2019),亀井孝ほか(編)『日本語の歴史 別巻 言語史研究入門』(平凡社,2008)あたりかと思っています。さらには,ミネルヴァ書房から出ている『はじめて学ぶ社会言語学 ことばのヴァリエーションを考える14章』(日比谷潤子編著,2012)あたりの内容を含めることになるでしょうか。

3 は,Bybee 2015がやはりお手本になると思います。それぞれの変化が,なぜ,どのように起こったのか,ということを説明し,可能な限り他言語における類例を提示するとともに,日本語の場合の「特殊性」などについても説明することが必要だと思います。小柳智一先生の文法変化に関する研究のように,他言語における研究成果を参照にしながらも,日本語の側から新たに一般化・理論化を行う,というようなことも示すことができればいいのですが,それはちょっとハードルが高いかも知れません。服部義弘・児馬修編(2018)も,この点では参考にあると思います。

扱う具体的な言語変化は,今「日本語の多様性」という授業の中で取り上げている以下のような内容に,文字や表記の歴史を加える,というのをベースにして,考えたいと思っています。あと,比較再建や系統の話も盛り込まなきゃいけませんね。

01 はじめに:日本語の地理的・社会的変異と歴史変化の概観
02 語彙変化と若者ことば(1):新しい語はどのように生まれるのか
03 語彙変化と若者ことば(2):語の意味はどのように変化するのか
04 音声の変化とその多様性:ガ行鼻濁音とアクセントの世代差
05 音変化と音韻体系の多様性:日本語音韻史と諸方言の音韻体系
06 類推変化がもたらす言語の多様性(1):ら抜き言葉とれ足す言葉
07 類推変化がもたらす言語の多様性(2):ラ行五段化と二段活用の一段化
08 文法システムの多様性と文法化(1):可能表現の多様性と文法化
09 文法システムの多様性と文法化(2):テンス・アスペクトシステムの多様性と文法化
10 (形態)統語論に関する変化と多様性(1):格助詞と格体系の社会的変異と変化
11 (形態)統語論に関する変化と多様性(2):格助詞と格体系の地理的変異と変化
12 言語接触と言語変化(1):“標準語化”と地域方言の変化
13 言語接触と言語変化(2):ピジン・クレオールの発生とその歴史的背景
14 まとめ:言語はなぜ・どのように変化するのか

という妄想的構想です。

誰かと協力して作ることも考えましたが,私,欲張りなんで,自分で書くことによって,自分も勉強して,全部できるようになりたいな,なんて思いもあるんですよね。まぁそんなこと言っておいて,誰かに助けを求めたり,ご助言を求めたり,はたまた,投げ出しかけたり,弱音を吐いたり,愚痴ったり・・・まぁ紆余曲折あって,本当にできるかどうかも分かりませんけれど,そういう思いを持った人がいる,日本に歴史言語学を根付かせたいなぁ,と思っている人がいる,そんなことだけでも分かっていただければ嬉しいかな,という思いです。

最後に,これを読んだ方・・・「こんな変化取り上げたら?」「この本が参考になるよ!」「こういうのも取り上げてほしい!」「こんな本がいいな」「お前にゃ無理だ,魚住」など,この妄想的構想に関するご要望・ご批判・ご意見などあれば,コメントしていただくなり,DMいただくなり,メールいただくなり,していただけると,嬉しいです(批判は怖いですが。。。)。


こんな自己満足なのでいいんですかね・・・まぁ,でも,言語(学)という広いテーマの中で,私が一番考えていることが,こんなことなのです。