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#教育

よく分からないルールや言葉にも意味や背景があるのではないか?

最近、改めていろんな事を学べば学ぶほど、言葉を知れば知るほど、本当に大事なものは抽象的な言葉でしか表せれない、もしくは、言葉にできないのではないかと思った。 前に、コルクの佐渡島さんのYouTubeを見ているときに、あくまで人間というのは言葉というツールを使って、それに当てはめてコミュニケーションをするしかない。言葉で表現できることなんて、世の中の1%ぐらいで残りの99%ぐらいは表現できないと。 でも、だからこそ、それをどうにか言葉というツールを使って表現しようとしている

「同じ日本人」というのは時に悪い方向に働くこともあるので気をつけようというお話

日本人という民族で見ると、他国の人に比べて、だいたい顔は似てるし、日本語という使ってる言語も同じ。 だから、目の前の人が同じ日本人だからと言う理由で、分かり合えると思うかもしれないけど、そんなことはない。 「普通こうでしょ。」は同じ日本人でも通用しないことはある。 日本人以外の、外国人を例にとると、自分たちがどれだけ同じ日本人に対して「普通」という認識をしているか分かる。 例えば、外国人の方が日本の家に入る時に、靴を脱がなかったら「あ、日本では靴は脱ぐんですよ」と教え

今後は「教えてもらう」のが難しくなっていく?「教えてもらう」と「学ぶ」の本質的な違い

今朝は、「学び」に関する小話をご紹介しようかと思います。本質的な違いも何も、受動的か能動的かでしょ、という話もあると思いますが、語源から少し考えたいと思います。 「教える」の語源まず、「教える」の語源は何からきているかというと「をし」から来ています。この「をし」というのは、「人のことを愛おしく思う気持ち」ですね。つまり「人を愛すること」です。そこから、「大切やことを人々に分け与える」→「知識や知恵を分け与える」→「教える」という意味を持つようになったみたいです。 ここで大