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本質は変わらないから、手法を変えなければならない

 ひょんな縁から、私の部屋で一献やることになった。
 まったく知り合いでない創価大学のOBがSNSを通じて集い、学会について思うことを語り合った。その中に、忘れられない話をしてくれた人がいる。
 彼は、聖地・信濃町の総本部に勤める学会職員であり、学会員であれば誰もが知る本部の中核、池田先生の側近と言える大幹部の子息だった。
「僕のところに権力が集まってくるのを感じます」
 権力の魔性を憎む創価学会の本部内で権力が集中するとは穏やかではない。
「どういうこと?」
「僕より遥かに歳上の、年次も役職も上の方が、新たに打ち出す戦いについて僕に指導を求めてくるんです」
「えっ、なんで」
自分の判断が正しいのか、分からないんでしょうね。僕の父が先生の側近だから、みんな聞きにくるんです。僕というよりは、『父も同意している=池田先生のお考えに沿っている』的なお墨付きが欲しいんでしょうけど……」
 飲み会で談笑の中、ポロッと出た言葉だったが、靴の中に入り込んだ小石のように、ずっと心に残っていた。
 池田先生後の時代について、初めて自分事として問題を突きつけられたような気がしたからだ。
 それからだ。当たり前だと思っていたこと(知らぬ間に諦めていたこと)が、少しずつ気になるようになってきた。

 学会は、日程を出すのが遅い
 担当幹部が絶対に出席できる日を押さえてから、連絡を回すからだ。メンバーにとっては急な日程の打ち出し、それに伴う着任要請。後輩たちは仕事の日程を調整するのに必死になっている。
「どうしても仕事を、休めません」と涙ながらに私に報告してくるメンバーには、「大丈夫。仕事をするのも学会を守ることやから。今回はそれが任務やと思って、そっちに集中してくれ」と私は伝える。
私の指導は、「何がなんでも命をかけて学会を守る創価班」の方向性とは少し異なっている。今はさすがに「仕事を辞めてでも着任しろ」とまでは言われないが、それでも時代からは、かなり置いて行かれている。
創価班は「命のかけ方」に関して、大転換の必要に迫られている。

 後輩たちが、無駄な罪悪感を抱くのが嫌だった
 本質的ではない。価値的ではない。訓練にもならない。本当に無駄だからだ。こんなことで活動に対して、気が重たくなるような印象を持ってもらいたくなかった。
 会合の日程など、学会本部が半年ごとに、一年先まで打ち出せばいい。それは、絶対にできることだ。
 関西本部運営創価班では、一年の日程が年初に打ち出される。メンバーは発表された翌日から詰まっている日程を必死になってこじ開けている。
 「これが訓練」という考えもあるだろう。そういう人の言い分は、おおむね次のようなものだ。
 ・会社に無理を言っても聞いてもらえるくらいの実証を示せ
 ・どんな場所でも言うべきことを言え
 ・急な招集でも命懸けで集う練習(毎回が3・16と思え)
 ・祈りの確信をつかむため
 ・限界突破の戦いで、キャパシティを広げろ
 理由はいくつも聞かされたし、間違いとも言い切れない。
 ただ、これらの全てが時代とズレ始めている、いや、既に大きくズレてしまっていることを、学会を運営するクラスの幹部が気づいていない
 ましてや「急な日程変更が入る可能性があるから、ギリギリまで出せない」など聞くに値しない。急な日程変更があるならば、会合は中止すればいい。
 上の都合でスケジュールを変更して、そのシワ寄せをすべて現場のメンバーに帳尻合わさせようとする態度が「訓練を受けてきた幹部」のものかと思うと嘆かわしい
会合を中止しても戦いが進むように、勝てるように、価値創造するのが、いま必要な訓練だと断言しておく。

 私は男子部では一介の部長、創価班では末端の班長だった。
 後輩がスムーズに会合に参加できるよう、また着任できるよう、いつも幹部に、日程を早く出すように要請していた。
 圏創価班委員長に「何のために毎月、班会を開くのか」たずねたことがある。答えは「毎月やらないと、県とか総県が介入してくるから」だった。「介入してくると、自分たちのやりたいように、できなくなる」と言う。そして「総県の会合が決まるまで、圏の日程は決められないんです。先に決めて、後から総県の会合がかぶったら、中止しなくちゃならなくなるんです」とこぼした。
 ラインでもほぼ同じだ。本部長には日程を決める権限がないと言われ、圏男に話すと「県や総県の会合が決まるまで決められない」と言う。
県、総県幹部に頼んだら「大人(壮年部、婦人部)が会合を決めるまでは無理」と言われ、県長に話せば、「学会本部が決めなければ決められない」と言われた。
 突き詰めると理由は全員、同じだ。
「自分たちより上の幹部が決めるから、自分たちには権限が無い」
 私が言いたかったのは、権限の問題ではない。
「日程を開けようと、四苦八苦しているメンバーのために、なんとか早く日程を出してやりたいとは思わないのか」
 これを言うと帰ってくる言葉はひとつ。
「自分たちも、やってきたから」
 だから、それが時代とズレているのだ。
 私も「その時代」を経験してきているから分かっている。「24時間、働けますか?」というキャッチコピーが流行した時代の、20年以上前の感覚だ、それは。
 その頃は我が身を捨てて働く、仕事のためには家庭も顧みない企業戦士が英雄だった。働けば働いた分だけ、儲かったからだ。
いま24時間働くのは、英雄ではなく奴隷だ。24時間働く人も働かせる会社もカッコ悪いのだ。

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