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出したい音とは何か、リファレンス楽曲を考察する


Change the Worldという曲


お店のBGMなどで、Eric ClaptonのChange the Worldという曲を耳にすることがある。有線とかSpotifyとかを適当に流しているのだろう、特に意味は無いと思う。


一応私はサウンドエンジニア、なかでもPAという分野を職とさせて頂いている身分なのであるが、PAシステム(だけとは限らないだろうが)を構築していく作業の中に、スピーカーチューニングといって、最終的に出力される音場や周波数特性などを調整する作業がある。

どの様にチューニングするのかというと、規模によって様々だが、近年は自動キャリブレーションや、Smaartのような測定システム、デジタルオーディオネットワークの普及も手伝い、機械的に正確、合理的かつ高度な技術が投入されている。

とはいえ、周波数特性的にフラットであればそれでOKかという訳ではなく、最終的に判断するのは音楽的であるかどうか、つまりは人間、ここでいえばハウス・オペレーターの耳になるのだ。

コンサートやフェス等に行く人は、スピーカーから「ワン・ツー、ワン・ツー」だとか「うー、うぅ〜、へぇーーーーー」などと、変な声がしてくるのを聞いたこともあると思うが、あれはふざけているのではなく、自分の声を通してスピーカーの音をチェックしているのだ。

そして多くのエンジニアが、お気に入りのリファレンス楽曲を持っている。つまり、その曲を再生して、ちゃんといい感じに聴こえていれば調整はOKということだ。

もうわかったと思うが、ここで先述のChange the Worldを使用する人が多いのだ。機器展のスピーカー試聴会、お祭りの仕込みサウンドチェック、乗り込みオペさん。あらゆるところでChange the Worldを耳にする。10数年前、エンジニアの専門学校に通っていた頃、お世話になった先生が使用していたのもChange the Worldだった。

そんなもんだから、私の中ではクラプトンのChange the World = チューニングの曲というイメージが完全に出来上がってしまった。

もちろんめちゃくちゃいい曲だと思う。アコースティックギターの柔らかさ、冒頭のベースのハーモニクスの生々しさ、定位、クラプトンの歌の臨場感。映画「フェノミナン」の主題歌になったこの曲は、元はWynonna Juddというアーティストがオリジナルであり、クラプトンのカバーにより一気に知られる事になったが、だからといって、多くのエンジニアが好んでこの曲を使うのには、楽曲の良さ以外の違った理由があるはずだ。


リファレンスの定義


そもそもチューニングのリファレンスに使用する楽曲として、求められる条件というのは曲の知名度だろうか?私は以下の要素を定義として考えている。


①自身が聴き慣れた楽曲であること
②信頼や実績のおけるプロダクションの元で制作されたものであること
③可聴帯域をカバーできるアレンジが施されていること


①に関しては、毎回同じ曲を違った環境で聞くことによって、すぐに相対的な差分を見つけ出し、補正を掛けることができるという理由である。

②は、簡単に言えば「ちゃんとお金掛けているか」なのだが、これは具体的にアーティストから収支報告書とかが出ている訳ではないので想定の範囲になる。だが、予算をかけ実績のあるエンジニア、スタジオで制作された音源というものには、信頼クオリティというブランドがあるのは間違いない。

いくら貴方が心から好きで、毎日聴いている楽曲だからといって、始めたてのアマチュアバンドがMTRでリハーサルスタジオ一発録りで作った音割れした手焼きCD-Rがたぶん相応しくないのは解るだろう。

③は、いくら①と②の条件を満たしていても、例えばピアノ1本の弾き語りとかだと、さらに上下にある帯域での想定がしづらいよね、という話である。

ちなみに条件には挙げなかったが、圧縮音源を使うなどは当然論外だ。再生装置と接続に関しても極力変化の少ない方式を用いるのが良い。

そう考えるとChange the Worldは②と③に関しては何も問題がないことが言える。むしろ最高峰のスタッフ、機材環境で制作されていることは間違いがないし、音のクオリティも凄まじく良いものだと思う。

そうなると疑問は①になってくるのだが、お気に入りの曲、となれば、みんな他にも色んなものが有りそうなのであるが、これは恐らく「好きだから」という理由ではなく、「定番であり、よく耳にする=聴き慣れている」という事なのであろう。

ちなみに全く同じ理由だと思うが、Donald FagenのThe Nightflyもよく耳にする。1982年の作品であるが、最初期のデジタルレコーディング作品として有名であり、非常に分離が良くクリアなサウンドだ。


選択の定義と目的


・・・ただ、私がずっと思っているのは、確かにクラプトンやフェイゲンの作品が素晴らしいのは間違いないが、現代の音楽を再生するためのリファレンスとしては、不十分ではないかという点である。

そもそも、誤解を恐れずにいうとクラプトンやフェイゲンをチューニングに使っているような人は、ほとんどがベテランの方というかおじさんなので、もう何十年もこの曲を使い続けている事が想像できる。

現代、ここ20年弱において大きく変化した部分といえば、例えばポップスの分野でも50Hz以下のような帯域が「音楽的に」構成要素として使用されるようになってきたのに加え、楽器単音でもダイナミクスを埋めていくための処理が施されたり、機材のデジタル接続、モデリング技術の台頭、ジャンルをいくつも跨いだ音楽性が当たり前になった現代において、所謂「生音を重視した」サウンド以外のアプローチ「も」必要になってきたところだろう。

結局の所、どんな音源でチューニングしようと、結果的にオーディエンスを満たすサウンドを出すことが出来るのであれば、何も問題はないのであるが、みんなが使っているから、という理由だけでリファレンスを選ばず、可能な限りトレンドを追求した音創りを独自に研究していくことも大切である。進化し続けるアーティストの表現を、システムの都合で再現できないようなことがあってはいけないのだ。

その点に関して、出したい音がきちんと「見えているか」どうかの判断をつけるための材料は必要である。偉そうなことを書いているようだが、私自身もまだまだ勉強や研究は一生終わることはないだろうし、常に生まれてくる芸術と向き合っていく努力をしなければいけない。

なので未だに、Change the Worldが流れてくると、無意識に「仕事モード」に入ってしまう、自分がいるのであった。

私がここ数年リファレンスに使用している楽曲を最後に載せておくが、勿論これは正解でもなんでも無く、自分の中で先述の条件と一致しているということであり、勿論そのうち変わるかもしれない。だがいずれも、私がいま「見たい」部分を的確に教えてくれるサウンドだ。


SBTRKT - Trials of the past

Nickelback - Follow You Home

ONE OK ROCK - Change


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