家でつくる料理。「これがいい」じゃなくて、「これもいい、これでいい」という感覚。
料理家の大塚佑子さんが主宰する「アルモンデパーティ」に行ってきた。この日、大塚さんの最強アシスタントに、スープ作家の有賀薫さんも参加するとのことで、久しぶりにおふたりにお会いできるとワクワクしていた。そして、はじめて参加する場にちょっぴりドキドキもしていた。
この記事のカバー画像は、アルモンデパーティの参加中にメモしたもの。終わったあと見返すと、ぜんぶで8ページにも渡っていた。それくらいメモしておきたいことがある豊かな時間だった。
料理のちいさな悩みを思い出す
「アルモンデ」は、いまある食材でつくる即興料理。つまりレシピがない。いまある食材で食べたいものをどうつくるのかを、大塚さんがその場でアイデアを出してくれて、それをみんなでつくっていく。
このコンセプトは、ぼくがプロデュースする「サルベージ・パーティ(サルパ)」に近い。サルパでは、家で持て余している食材をみんなで持ちよったり事前に準備したりして、その場で料理を考えてつくる。大塚さんに聞くと、アルモンデパーティもそうしたいろんなスタイルでこれまで開いてきたそう。
アルモンデパーティのおもしろさは、参加している人の「食べたい」「使い方がよくわからない」という要望、的確に応える大塚さんのコンシェルジュ的な立ち回りだと思う。そこへ有賀さんも加わると、料理に悩むみなさんへの「ガイド」は、さらに深くなる。
(ちなみに。アルモンデパーティが大学の「ゼミ」だとしたら、ぼくのプロデュースするサルパは「イベント」だ。どちらもアリだと思う。どちらも、その場で得たアイデアや情報を日常に持ち帰る。料理における日常と非日常の「架け橋」という意味で、このふたつには共通性があるなとも思った。これについてはまた別のお話で)
さきほど「料理に悩む」と書いたが、正しくは「キッチンで日頃悩んでいることを思い出す」というニュアンスに近い。春巻きの皮が余ってしまう、という悩みはいつも頭にあるわけではなくて、自宅のキッチンの棚にある、かなり前に買った春巻きの皮を見てそう思うわけだし、「あー何かに使わないとこのままだと手付かずだな」と心に引っかかってしまう。で、1時間後にはその悩みを忘れる。その繰り返し。だから解決しない。春巻きの皮を見かけたらその時にババッと料理に使えるようになると、食材手付かず問題の解決の一助になると思う。
アルモンデパーティは、食材を目の前にしてみんなで雑談することで、ずっと考えているわけじゃないキッチンでのちいさな悩みを、一気に思い出させてくれる。だれかの悩みに触発されて、じぶんも別の悩みを思い出す。
おしゃべりが食材への愛着を醸成していく
11:00にスタートして15:00ちょっと過ぎに終了。4時間は長いかなと思っていたけど、始まってみたらたのしすぎてあっという間に終わっていた。
始まるとまずは、事前アンケートにあった「余りやすい食材」と「よく買う食材」をみんなで確認。
これを見て、「ちくわはあまり買わないよね」と誰かが言うと、ちくわはなぜか2本余るとか、同じくらいはんぺんも買わないとか、どんどん話が広がっていく。ちくわの使い方として、有賀さんが「細切りピーマンと斜め切りしたちくわを醤油で炒めるだけだけど、これカンタンでおいしいですよ」と教えてくれた。
(そういえば「醤油で炒めるだけでうまいヤツ」って各家庭にあるな)
ほかにも「胡麻は、野菜炒めとかちょっと失敗したときのリカバリーとして使うといい」とか、「長ネギは、どこまで食べるか問題」とか、ひとつひとつの食材に、大塚さんや有賀さんの話題が尽きない。参加者もそれに乗っかってエピソードを話していくから、さきほども書いたように、料理に関するちいさな悩みを思い出しながら、それについて解決のヒントを受け取れるので、みんなの中で自然と食材への愛着が醸成されていく。
余白のある料理、一期一会の料理
みんなで話し合ったあとは、それら食材を使って料理をしていく。まず大塚さんが、ひとりひとりに「いま食べたいもの」とか「使ってみたい食材」を聞いてくれる。その食材と、いまある別の食材を組み合わせて、「こんな料理をつくりましょう」と即興で考えてくれる。
ここでしか食べられないような料理をつくっていくわけで、まさに一期一会。そんな特別感もなんだかうれしい。およそ3時間で、モッツアレラチーズと柔らかくなった柿を包んだ春巻き、ししゃもの小松菜とえのきあんかけ、ひじきとにんじんの白和えなど、たくさんの料理ができた。3時間の料理は体感ではあっという間だった。みんなで手を動かしながら考えたり話したりしていると没入感がある。たのしい時間は過ぎるのが早い。
できた料理について詳細を書くと大変なので、ここでは省きます。ぜひアルモンデパーティに参加して、その日だけの料理を自身でたのしんでみよう。
手間と余白
この日、僕が印象に残ったのはふたつ。
ひとつは、ある参加者の方が、もやしのヒゲを取る面倒な作業を率先してやってくれたときのこと。それを見た大塚さんと有賀さんは、声を揃えて「大変だから家ではヒゲを取らないこともある」と。そしてさいごに有賀さんが「人の手って贅沢ですよね」と言っていた。もやしのヒゲを取れば、料理の仕上がりは一段アップすることはわかっている。料理の専門家であるおふたりでも、手間と仕上がりを天秤にかけて、料理の一工程をショートカットすることもある。それはきっと家の中で自分や家族と食べる料理だからだろう。そこに家庭料理の良さがあるなと思えた。そして手間をかけられる「人の手」を贅沢と表現した有賀さんのセリフも納得した。
もうひとつは、大塚さんと有賀さんが料理をつくっている途中で急に「予定変更!」と言って、食材の組み合わせや味付けを平気で路線変更したり、完成と思われた料理にさらに別の食材を加えたり、その場でどんどん料理を変化させていくこと。これを見ていて、予定調和でない料理にワクワクした。レシピ通りにつくる料理だと、「はい、ここまで!」と料理の完成がはっきりとわかるけど、ふたりの料理にはそれが一切ない。料理に余白があって、余白を埋めるか、これ以上何もしないかをふたりして遊んでいるみたい。サルパでもそうだけど、こうして料理をする人の頭の中をライブで覗けたときが抜群におもしろい。
幸せに辿り着くための一部に
料理することや食べることへの時代の変化を感じている。気候変動や食料問題など食に関する社会・地球環境の問題はたくさんあるし、フードテックとか昆虫食とか新しい食文化や価値観はどんどん生まれている。
それらは個人レベルではコントロールできないこともあるけど、「どういう食べ方をするか」くらいは自分で決めるしかない。だけど、いまは食へ向き合うことが面倒だと感じる社会でもあって、それは本当に危ういと思う。
料理が上手でなくてもいい。グルメでなくてもいい。食べることにお金をかけなくてもいい。「食に向き合う」と書くと、なんだか崇高なことやっているように感じるけど、もっと気軽に考えていい。料理が得意じゃないと思っている人、これから料理をやろうとしている人の方が多数だと思う。そういう人にこそ、「アルモンデパーティ」や「サルパ」を届けたい。
僕が願うのは、たとえ仕事や趣味にくらべて食の優先順位が低くてもいいから、食が自分なりの幸せに辿り着くための一部であってほしいということだ。
そのために、これからも人と食の関係を問い直して、新しい食文化や価値観をデザインしていきたいし、そのために「サルパ」や「フードスコーレ」をもふくめて壮大な実験を、これからも続けていく。そして「アルモンデパーティ」のように共感できることを積極的に応援していこうとも思う。
大塚さん、有賀さん、ごちそうさまでした。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?