戦時下の生活風景メモ 昭和15年あたり

自分用のメモ的記事です。

昭和15年 「奢侈品等製造販売制限規則(しゃしひんとうせいぞうはんばいせいげんきそく)」が公布されました。
絹織物、指輪、ネクタイなどの製造が禁止。

「十品目の切符制」実施
米、味噌、醤油、塩、マッチ(一日1人5本)、砂糖(一人一月300グラム)、木炭など

昭和16年 「生活物資統制令」
お米は米穀配給通帳制になり、一般成人男性は一日二合三勺(約330g)
戦況が悪化するに従い配給は減っていきました。

昭和16年で他には
「慶弔電報の取扱い停止」
「乗用車のガソリン使用全面禁止」
「新聞、ラジオの天気予報、気象報道全面禁止」
などがありました。

電報などは赤紙招集で郵便局が忙しく、仕事を効率よくするため?
乗用車のガソリン使用禁止は軍が優先的にガソリンを使用するためでしょうか?
天気予報の報道規制は敵国に情報を漏らさないため?
情報が少ないので、のちほど調べようと思います。

昭和17年 「金属回収令」
寺院の仏具、梵鐘など供出。上野付近の駅の街灯も回収されたりしてますね。

「ガスも割当制」
どうやってたんだろうか。今のガスシステムと違い過ぎるので、これも後ほど資料探しします。

昭和12年、日中戦争勃発
戦争の拡大と長期化に備え、「国民精神総動員実施要綱」が発表されました。

映画の上映前に「挙国一致」「銃後を護れ」などのタイトルが流されたり、「尽忠報国」「パーマネントはやめましょう」などの流行語が流行りました。
昭和13年には「国家総動員法」が公布。
これは、国防目的達成のため国の総力を最も有効に発揮せしむるよう、人的物的資源を統制運用するためのものでした。

軍事物資優先が人々の生活をかなり変えました。「欲しがりません勝つまでは」「ぜいたくは敵」などの流行語もありました。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?