見出し画像

わたしのなかの、ちいさなaiko

aikoのサブスクが解禁されて、一週間。わたしは、aikoをの曲を丸々脳内再生することができるまでに進化した。

 aikoのCDは家に何枚かある。お姉ちゃんが好きだったことがあった。そのころはaikoの曲を聴いても、「なんだそれ可愛いな!」とか、「愛おしいね〜」という感想しか湧かなくて、わたしとは全然違う世界線で生きているひとの歌なんだって思ってた。わたしはaikoを聴くとき、外側から観察するだけだった。好きな人を見えなくなるまで見送ったり、好きな人にいいことがあるように赤いストローをさしたりする可愛い友達の恋バナを、永遠に聞いている感覚だった。そのころのaikoは、随分遠くで流れていた。

きみにいいことがあるように、今日は赤いストローをさしてあげる

 でも、ここ数日、何かがおかしい。

 aikoを久しぶりに聴いて最初に違和感を覚えたのは、実を言うとサブスク解禁の2月26日ではない。King Gnu井口理のオールナイトニッポンゼロにaikoがゲストとしてやってきて、ふたりで歌った『カブトムシ』を聴いたときだ。そのときは、井口理の真摯な歌声やaikoに向けられた優しい視線、それに全力で応えるaikoの姿勢に、息切れすら覚える鼓動を感じたのだと思った。

琥珀の弓張月、息切れすら覚える鼓動、生涯忘れることはないでしょう。

 でも、その違和感は二人の『カブトムシ』だけに感じるものではなかった。aikoを聴くと胸がサワサワとする。気がつくと聴きながら頬杖をついている。『ストロー』を聴きながら踊っている!!というか、毎日aikoを聴いている!!!

 はじめ、わたしは抵抗を試みた。わたしはaikoとは違う。わたしは愛に向かって真っ正面から突っ込んでいけるタイプじゃない。どちらかというと愛を自分の真ん中に置かないように頑張っているくらいだし、「ねえ目を見て、ねえ口見て」とかはじかし〜///と思ってしまうし、それにそれに、曖昧なお辞儀は逆にいいと思ってる、、、?

この間はすれ違ったんだ。でも声はかけられなかった。曖昧なお辞儀は逆にいや。

 でも、わたしにとって観察対象でしかなかったaikoは、わたしのなかに、ちいさいけれど確実に居場所をつくっていった。数日経つと、わたしのなかのaikoは無視できないくらい活発になった。ぴょんぴょんと心臓の周りをスキップして、ときどきぎゅーっと抱きしめてくる。これはもう、無視できない。可愛いにもほどがあるよ、わたしのなかのlittle aiko、、、

 そしてわたしは、とりあえず、ちいさなaikoがわたしのなか住むのを許すことにした。あなたがなぜここに居たいのかわからないけれど、いいよ、好きなだけここに居て。

 わたしのなかのちいさなaikoがわたしのなかから「すきなの!!」と叫ぶ。「誰のことが好きなのよ。aiko、いまはaikoの出番はないんだよ」と、わたしはわたしのかわいいaikoに言い聞かせる。わたしいま、好きな人、触れたいと思う人、いないの。それに、わたしaikoみたいに人を愛せないよ。窓際で体操座り、したことないよう。けれど、彼女は全然聞いてない。「この愛おしい気持ちを伝えて!伝えられないの!?一度や二度は転んでみれば??」とわたしを急かす。

三角の耳した羽ある天使は恋のため息聞いて、目を丸くしたあたしを指差し、一度や二度は転んでみれば?

 お姉ちゃんがよくaikoを聴いていたのはわたしが中学生のとき。友達はみんな彼氏がいたから、乗り遅れちゃいけないと思って恋愛をした。わたしは斜に構えているところがあって、いつも周りの人よりも冷静でいられる自分が気に入っていた。彼氏と手を繋ぐのが嫌いな、電話が来ると出ずに切ってしまうような、そんな中学生だった。恋愛や友達関係で泣く人を見て、わたしとは違うなと思ってた。わたしは悔しいときにしか泣かなかった。わたしらしくない感情はできるだけ捨てるようにしていた。正確には、”なりたいわたし”らしくない感情。

 そんなわたしが、いま、aikoを心のなかに住まわせている。

 昔のわたしだったら「いや、わたしそういうんじゃないんで」とか言って門前払いしてたと思う。たぶんわたしは、自分の感情に少し優しくなった。いまもこうして自分の心にいきなり現れたaikoに耳を傾けている。これはわたしにとっては大きな変化だと思う。これが大人になるってことなのかしらとも思うけど、感情を切り捨てるのが大人な気もする。

 でもとりあえずわたしはこの変化を、とても心地良く感じている。これは、好きという気持ちに正直になるとか、眠る前に好きな人のことを考えるようになるとかそういうことじゃない。わたしが話も聞かずに突っぱねてきた自分の気持ちと向き合って、吟味することができるようになったということ。まずはわたしのなかに住まわせてみて、検討できるようになったということ。苦しくなったらその気持ちに立ち退きをお願いすることができると知ったということ。

aikoのサブスク解禁は、わたしがそんなことを考えるきっかけになった。

「いつも気を張っているよね」「肩の力抜きなよ」と言ってくれたみなさん。ご心配をおかけしました。そして報告があります。わたしいま、心にaiko、住まわせてます。

ヒラウチ


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?