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『この生命誰のもの』感想

開演して真っ先に目に飛び込んできたのは、天窓越しに見える青々とした木。その下に静かにベッドに横になる男性。
その2つが静かな白い空間で対照的だなと思っていると、2人の女性が入ってくる。

口を開くと、案外男性は明るく、毒も吐く。その中に絶望のようなものも潜む。

前半、江間先生と早田のやり取りに違和感があり、『時代設定はいつだ?』ということが気になった。現代の日本なら江間先生の治療の進め方はあり得ないから。でも、その時代の治療の進め方が後半の裁判を際立たせたとおもう。

主人公の早田は、病室で死んでいるのと同じだと言っていた。それは、全身麻痺で彫刻家としてもう作品を作れないということよりも、病院という独自の社会の中での『都合の悪いことは聞こえないフリをする周囲の態度』や、『いくらか罪悪感を持って接する人たち』に対して、人として扱われていないと感じたことからなんだろう。

1番印象に残っているシーンは、北原先生が弁護士とご飯を食べたあと、早田の病室に訪れたときの会話。『あなた今楽しんでいるでしょう?』というところ。
江間先生に勝手に精神安定剤の注射を打たれたり、ケース・ワーカーに望みもしない器具を紹介されたりする前半から、自分の意志で弁護士を呼び、死(治療を拒否する)という目的に向かって活動を始めた。そして、院内の人々も、その早田の『考え』に対して、考え行動を始める。今までは無視されていたが、無視できない状況を作り、自分の声を聞かせた。自分の声を聞き周りが動く。

観劇していてふと、『人間は考える葦である』というあの言葉が浮かんできた。
早田が自分の状況を理解し、考え始めた頃、注射を打たれ、思考を鈍らされる。早田も『死にたいわけではない、自分の気持ちを分からせたい』と何度か言っていた。対等な関係を求めたのではないかな。全身麻痺だけど自分は生きていると主張していたんじゃないかな。自分の考えを聞こうとしない(事故後で精神が不安定だと決めつける)人たちに対しての怒りが強かったのではないか。

そんな中、そんな院内の人たちと対照的な人物として描かれていたのがバンドマンもしているソウスケ。一般的には無神経だったり、失礼っていわれたりするんだろうけど、人の事故や死に慣れていないソウスケは素直に早田のことを『かわいそうな人』だとおもう。ある意味、この病院で1番早田の現状を正しく、曲げることなく見ている。その上で、テニスの審判などを提案するのだから、憎めないキャラだなぁとおもう。

この作品で、院内のスタッフ、早田、院外の弁護士、院外の精神科医、そして判事といろんな立場の人が登場する。それが良かったとおもう。それにみんな早田のことをそれぞれの立場で本当に大切に思っているのが伝わってきた。建前や地位ではなく、みんなが己の責任をもって、早田を助けたいと思っていた。

途中から、天窓越しの木はなんだか早田の一部みたいな、力強さを感じた。今の時代だったら、早田のできることは本当にいろいろあっただろうな、と思う。あれだけの裁判を起こせる位だから。

裁判後、どうなったのかまでは描かれていない。けど、裁判を経て、早田の考えが変わってほしいなと個人的にはおもった。もっと生きてほしい。

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