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ピアス と 本質的な孤独、

姉の耳から弾きだされたピアスの傷跡を見たことがある。
耳の端には、はさみの先で ぱちん と切ったような跡ができていた。
急に耳から ぽと っと静かに落ちたらしい。
異質だと判断したピアスを、身体が ズズズッ と押し出した跡。

今日はそのことを思い出していた。

耳が弾き出したのではなく、ピアスが自ら出ていったのではないか。

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人は本質的に孤独だと思っている。
相手のことを 100% 理解できるというのは驕りで
その人の言葉の裏には、もっと色々なことがある。
でも、それを話す必要はないし、お互いに理解する必要もない。
それは不可能で、適度な距離と礼節を持って暮らすことが大切で。
己が孤独であることを受け入れたら自由なんだと思う。

ただ、これは私の考えで、
私はずっとそういうマインドで生活している、というだけ。

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自分の考えていることを
全て正確に言葉にしようとすると、
どんどん違うものになっていく

劇作家の岸井大輔さんとお話していた時に、おっしゃっていた言葉。

これはアンチゴーヌを見ていても感じた。
劇中のほとんどは、クレオンとアンチゴーヌの対話。
お互いが自分の考えが正しいと思い、相手の考えを改めさせようとする。
時に相手を罵倒し、自分の悲惨さを語る。
最終的には、それぞれの立場と法律のもと、悲しい幕が降りる。

この話の悲しい部分は、
どちらも正しいということ。
お互いに相手を救いたいと思っている。
良い、悪いの話ではない。
考え方、立場、守るもの、が違うだけ。

クレオン(王)は最後、「早く大人になりたい」と言う小姓に

大人になんかなるものじゃない

と伝える。
すごく悲しい。

お互いが強く理解しようとすればするほど、すれ違いが広がり、修復不可能になる。大切なのは、受け入れられるかどうか、ということだけだと思う。
理解することではなく、受け入れられるか。
そんなに力はいらない。

ただそれだけ、だと思ってます。

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hiragi ayako
twitter : @____hrg


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