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今日のブルース⑥スキップ・ジェイムズ「糸杉の林」(1931年)

どこかの糸杉の林に埋められた方がましさ
どこかの糸杉の林に埋められた方がましさ
聞き分けのない女と一緒にいるくらいなら

さてと、オレはおさらばするよ おさらばしてどこかに落ち着くんだ
さてと、オレはおさらばするよ おさらばしてどこかに落ち着くんだ
それで何もかもうまくいく
いつか、おまえはオレの助けが必要になるだろうが

もうすぐ日が沈む オレが約束したことわかってるな
もうすぐ日が沈む オレが約束したことわかってるな
そのときお前が何に困っているかは オレにも分らないが

死んで、6フィート下の墓の中横たわった方がましさ
死んで、6フィート下の墓の中横たわった方がましさ
お前とここにいて、こんな扱いを受けうるくらいなら

年寄りたちの言うことが、オレにはわからなかった
年寄りたちの言うことが、オレにはわからなかった
聖書にも書いてある 蒔いた種は刈り取らねばならんと

ひざの骨が痛み出して、身体が冷たくなってきたら
ひざの骨が痛み出して、身体が冷たくなってきたら
糸杉の林に行く用意ができたってことだ

昔々、ブルースが生まれるよりもさらにずっと昔、ギリシャのケイオス島というところに、キュッパリッソスというそれはそれは美しい若者がおりました。父はミューシアという国の王テーレポス。若者も将来を嘱望されておりました。ところがある時、若者は仲良くしていた金色に光る角を持つ雄鹿を誤って槍で殺してしまいます。若者は永遠に雄鹿の死を嘆き続けることを願い、神々はその願いを聞き入れ、キュッパリッソスを悲しみの象徴である糸杉の姿に変えました。トゥルルルル~それが糸杉がCypressと呼ばれて、死の象徴とされるようになった理由なの~♪

絶対にブルースではない音楽とともに、本題に移る前に、ひとこと。仲良しの鹿を槍でズブッて、キュッパリッソス、不注意すぎだろ!死を悼む云々より前に、まず狩猟免許取り上げて!もしや、「雄鹿の死を悼むため」とかこつけて、永遠の命を手に入れようとしたのでは?と考えてしまうぼくはブルースの聞きすぎだろうか。そして、神はその悪だくみを見抜き、「ええよ。あ、祈りやすいように、糸杉に姿変えといたから」「ええーまじか」でも、今さら引っ込みつかんしなーと意地を張って、糸杉になって生き続けているキュッパリッソス。キュッパルことが男の~たった一つの勲章ッス・・・さて、いつもにも増して遠心力のタガが外れた無茶苦茶な文章になっていますが、みなさんついてきていますか。まだ、本論にも入っていませんよ。

というわけで、糸杉はヨーロッパでは昔から死の象徴として扱われてきたらしいんですわ。知らんけど。でも、天に向かって絞り込むように伸びていく姿を、天に昇っていく死者に重ねたというのも何となくわかります。何しろ、こんなですからね。

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いや、いやいや、ゴッホさん。いくら何でもこれは。こんなぎゅるぎゅるぎゅるっと。月と太陽がそろって顔を出して、こちらもぐるぐるぐるぐるだし、道もぐにゃぐにゃだし。そのくせ、農家のおっちゃんたちはまるで平気そうだし。実は、ゴッホの絵を見ていると、ブルースを思い出すことがあるんですよ。オレの道には石があるとか、泥んこ道を行くとか、ロバート・ジョンソンやチャーリー・パットンにとっても道はこんなふうに歪んでいたんじゃないかって。

だってそうでしょう?毎日毎日、全く自分のためにはならない労働を淡々と続けて、ある日突然、退屈しのぎにリンチで殺されちまうなんて、そんな生き方を強いられたら、絶対に世界が歪んで見える。いや、その歪んだ世界のほうがまっすぐで、まっすぐって言ってるやつが軒並み歪んでるんだ。ゴッホがオランダ時代にパステル画で描いた貧しい労働者の絵。暗い絵のなかに必ず白でハイライトが入っている。そこに指をつっこんで引き裂くと(本当にやっちゃダメ)、そこには光あふれる南仏アルルの光景が広がっているのではないかと妄想する。南部の黒人たちは黒人教会とジューク・ジョイントに彼らのアルルを見出した。ゴッホにとってのアルルと同じように、安住の地とはならなかったけれど。

スキップ・ジェイムズはベントニアという、ミシシッピのまた別のスタイルのブルースで知られる地域のブルース・マンだ。デルタともジャクソンとも違う、オープンDmという変わったチューニングで、つっかかるような、今にも転びそうな不思議なビートで淡々と指びきをしながら、胸が苦しくなるような、やるせないファルセットで歌う。

歌詞は一見、思うままにならない恋人との別れを歌ったもののように思える。「こんな扱いを受けるくらいなら」とは恋人からの冷たい仕打ちのことのようにも聞こえるが、そうだろうか?先を聞くと、男は戻ってくるつもりだとわかる。別れた女がいつか困ったことになるとわかっていて、その時は助けに来ると明言している。「何に困っているかはわからないが」というのは、裏を返せば「何が起ころうと」助けに来るということだ。しかし、絶対にトラブルに巻き込まれると男は確信している。それでも彼が出て行かなければならないのは、「こんな扱い」をしたのが恋人ではないということではないか。例えば、そう、白人の地主。そして、リンチにかけられるかもしれないようなことがあって、男は住み慣れた土地を離れなければならなくなった。わたしもついていくとか、わたしとここに残ってとか聞きわけのないことを言う女を残して・・・そして、いつか戻ってきて、蒔いた種を刈り取らなければならない。

必要ないかなる手段を用いても!

そのとき、命を失おうとも、それは運命と受け入れよう・・・例によって、ぼくの想像が大半を占めるが、歌と言うのは解釈の幅を許すものだ。そして、この歌には恋愛だけで終わらない何かがある。キュッパリッソスに殺された雄鹿の歌だ。

I would rather be buried in some cypress grove
I would rather be buried in some cypress grove
To have some woman, Lord, that I can't control

And I'm goin' away now, I'm goin' away to stay
And I'm goin' away now, I'm goin' away to stay
That'll be all right, pretty mama, you gonna need my help someday

And the sun goin' down, and you know what your promise means
And the sun goin' down, you know what your promise means
And what's the matter, baby, I can't see

I would rather be dead and six feet in my grave
I would rather be dead and six feet in my grave
Than to be way up here, honey, treated this a-way

And the old people told me, baby, but I never did know
The old people told me, baby woman, but I never did know
"The good book declare you got to reap just what you sow"

When your knee bone's achin' and your body cold
When your knee bone's achin' and your body cold
Means you just gettin' ready, honey, for the cypress grove

追記 スキップ・ジェイムズはブルース・マンになる前にも後にもさまざまな職業を経験している。そのなかには、賭博師、密造酒製造ブートレッガーポン引きピンプなどの非合法な仕事も含まれている。ブルース・マンの多くはこうした裏社会に通じており、スキップ・ジェイムズに限って特別驚くようなことではないのだが、あの切ないファルセットで奏でられる美しい音世界を思うと、ちょっと想像がつかない。そのうえ、説教師もやっていたというのだから、説教師からブルース・マンになったサン・ハウスも驚く奔放ぶりだ。

この歌との関係で気になるのは、男性としての魅力(アレですよ、アレ)で女をつなぎとめ、売春を手配するポン引きとしての顔だろう。もしこの歌の男が実際のジェイムズ同様、ポン引きだとしたら・・・こんな客と寝たくないという売春婦をなだめすかして、何とか手配したものの、お客とのトラブルが絶えないので、何かあったらすぐに連絡をよこせと言い残して、別のシノギに向かう男の歌、ということになる。ただ、ポン引きと売春婦の関係と恋人関係は微妙な線引きなので、このコラムで書いたことも同時に当てはまりうる。

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