いつまでもあると思うな 親と傘

井上陽水の「傘がない」。中学生、高校生の頃によく弾き語りで歌ったし、今でもときどき周囲の冷ややかな視線をよそにカラオケで熱唱することがある。とはいえ、最近は「ビニール傘もコンビニもあるんだし、そんなに会いたいなら傘くらい買えよという話ですが、1972年の歌ですので・・・」と、歴史的意義を認めつつ、からかい気味に語ることが多かったのだが、いや違う、そうじゃない、と突然気がついた。未曽有の災害が起きたとき、例えば、火事で焼け野原になったり、津波で流されたりした町に、コンビニが残っているだろうか?ビニール傘が手に入るだろうか?そんなとき、新聞やテレビの届ける国レベルの「明日」よりも、愛する人の生死という「今日」のほうがはるかに切実だ。きみは生きているのか。今すぐ会いに行きたい、そこに激しい雨。あるいは原発事故で放射能にまみれた雨かもしれない。せめて傘さえあれば・・・行かなくちゃ、行かなくちゃ、きみに会いに行かなくちゃ・・・傘がない。

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