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今すぐやらない事は暇になってもやらない問題
暇になったらやろうと思っている事がたくさんありますが、いざ暇になってもそれをやらないんですよね。そんな忸怩たる思いを30年ぐらい抱えて生きてきました。
そして答えは出ているのです。「今すぐやらない事は暇になってもやらない」という答えが。そして忸怩たる思いを抱えた30年のうち、27年ぐらいはその答えも分かっていました。それでもやらないのが人類なのです。という言い方は人類に対して失礼なのです。それでもやらないのが平林勇という人間なのです。
暇になったらやろうと思っているリストは完全に渋滞していますよ。東名の用賀入り口から大和トンネル程度の渋滞ではありません。なんだかんだ、熊本ぐらいまで渋滞してるんじゃないですかね。もうこの渋滞を解消することは無理でしょう。強制的にやるとしたらクルマを排除しなければ無理です。
いや、だから強制的にやればいいんですよね。やりたいリストを大幅にカットするしか無いんでしょう。人生はもう折り返してしまいましたし、健康寿命もあとどのぐらいでしょうね。今年50歳だから25年というところでしょうか。そう。だからあと25年を使って何をやるかを考えなければならないのです。
25年ってすごく短いですよね。ウェ〜イなんて言いながら20代30代と生きてきて、ちょっと偉い立場になれるのが40代。そして50代にもなると、いっぱしの立場を得たり与えられたりしてゴホンなんて言ってる訳ですけど、未来を向くと死神がこっち見て笑ってるんです。25年先にいるんですよ。もはや「余命25年」です。残された25年で何をやるか?なんです。
そういう前提で「暇になったらやろうリスト」を見て、優先順位の組み換えをしなければならないんです。
例えば、今から全く新しい事を始めるとします。それを習得するのに25年かかるとしたら、それを選んではいけない気がするんです。習得してもそれを使って人生を充実させること無く死期が来てしまう訳ですから。
それを習得する過程に幸せがあるならいいんですけどね。結果に意義があるものと、過程に意義があるものと別軸で考える必要はあるんですが。
私の具体的な「暇になったらやろうリスト」で検証してみます。
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