見出し画像

納品物と作品について

私は仕事で映像を作っています。仕事で作る映像は作品ではなく、どちらかと言うとソリューションの意味合いが強かったりします。要するに、企業なりの問題を解決する映像です。

CMだったら、商品を売りたい、企業イメージを良くしたいなど、何らかの問いに対して、それを解決するための映像を作ります。その映像は機能を持っていると言ってもいいと思います。

とまあ、そんな堅苦しい話はいいとして、そのソリューションとしての映像というのは、ある佇まいを持っているんです。私の中では「カタチになっている」と言ってます。

カタチになっている映像は、しっかりした企画がされていて、しっかりとした撮影がされていて、しっかりとした仕上げがされています。クライアントの人が見ても「いいね!」と思いますし、クライアントの社長が見ても「ウム!」となりますし、視聴者が見ても「面白い!」「信頼できる!」「カッコいい!」と思われたりもします。もちろん、面白くもなんともない映像が世の中には溢れていますから、「面白い!」なんて思われたら大成功ではあります。

そして、私たちの様な映像制作者は、そこをゴールとして映像を作ります。クライアントにも満足してもらって、視聴者からも良い反応がある「カタチになっている」映像をです。

そして、その「カタチになっている」感じというのは、すごく狭いところを狙っている気がするんです。みんな同じトーンに殺到している気がするんです。多分それは、私たちがよく使う「クオリティ」という言葉によるんだと思います。

「クオリティの高い映像」と言われているものを並べれば分かります。大体同じ様なトーンの映像が並びます。もちろん、どれもクオリティが高いんですが、それはこの世にある高いクオリティ表現の中の、ごく一部の表現形式でしかない気がするんです。

一方で、だからこそ「クオリティ」という言葉だけで、みんなが向かっていく方向が分かったりもします。「クオリティを高くしたい」と言えば、大体みんな行くべき方向が分かります。CMだったら、あの監督やあのカメラマンが撮る感じ。MVだったら、あの監督やあのカメラマンが撮る感じ。「クオリティ」という言葉で、みんなが抱くイメージがかなり共通しているからです。

私ももちろん「クオリティ病」に罹っています。日々の仕事の全ては「いかに低予算でクオリティを高くするか?」そればかりです。

ちょっと話はズレますが、低予算の場合に、キッチリ低いクオリティの映像を作る一派があってくれないかとすら思います。断固として低いクオリティで納品する。じっくり時間をかけて、熟考して、検証に検証を重ねて、クオリティの低い映像を納品する。そういう人たちがいて欲しいと思います。だって低予算なんですから。高い意識を持って低いクオリティで納品する人たち。

話を戻しますと、その「クオリティ感」こそが「カタチになっている感」な気がするんです。一流のスタッフが集まり、すごく丁寧な映像が作られているんですけど、「カタチになっている」をみんなで追求した結果でしかない、言いますか。

これはちょっと抽象的で分かりにくい話なのかも知れませんが、仕事をしているといつも思います。そこそこのクオリティで「カタチになっている」だけで喜ばれる仕事だったりもするからです。そのクオリティの火加減を知っている人に仕事が集まるんだと思います。そして、もっと言うと、その火加減を「最強」にして仕事が出来ないのがクライアントワークとも言えます。「ちょっと強めの中火」ぐらいが喜ばれる気がします。

一方で、私は「作品」と呼ぶものを作る時は、「カタチになっている」感じから意識的に遠い映像を作ります。火加減は「最強」にします。「分かりやすい」「見やすい」「理解しやすい」をなるべく排除していきます。「分かりやすい」「見やすい」「理解しやすい」を追求していくと、カタチになってしまうからです。私の場合は、ですけどね。

ここから先は

1,007字
Xや無料noteでは言えない事。毎記事2000文字以上。月に5〜8回投稿。多い時は10回以上。映画監督、映像ディレクターの仕事について。フリーランスの生き抜き方をフリーランス歴20年以上の経験から。「中年の危機」に悶絶している様子をリアルタイムに報告。子供を2人育てる父親の視点と哲学。世の中に対する日々の雑感。親友の画家、石田徹也について。などなどを書いています。

平林勇の定期購読マガジン

¥500 / 月 初月無料

【内容】 ・Xや無料noteでは言えないこと。 ・有料マガジンでしか読めない記事。 ・毎記事2000字以上。 ・月に5〜8回投稿。多い時は…

サポートして頂けたら、更新頻度が上がる気がしておりますが、読んで頂けるだけで嬉しいです!