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怒りを分解する

日々、カチンと来ることや腹が立つことはあります。穏やかな気持ちだったのに、ふと過去のことを思い出して怒りが再燃してくることもあります。「ああ、世の中は嫌なことばかりだ。本当に嫌な人ばかりだ…」と思うこともあります。

そんな時に「あの人から離れよう」とか「あの人に復讐してやろう」とか「あの人を見返してやろう」と思ったりもします。

その中でも「あの人を見返してやろう」は割と生きるエネルギーになったりもします。怒りのエネルギーは制御次第では莫大なエネルギーを生み出しますからね。怒りという感情は本当に不快なものですけど、ボーッとした日々が続くと「少しは怒らなければダメだ」と思うこともあります。怒りのエネルギーで作品が完成することはありますが、ボーッとした平和な日々では何かを完成させようとするモチベーションは生まれませんからね。

と言いつつ、そうやって他者との関係性と自分の感情を常に関連付けていると疲れます。疲れるし基本的に不快感ばかりを感じることになります。「あいつはバカだ」とか「あいつは才能がない」とか「あいつはレベルが低い」とか、そんな事ばかりで自分の感情を埋めてしまうのは人生の無駄なのです。

だから私はそんな気持ちになった時に「なぜ怒りの感情が湧いたんだろう?」と考えます。突き詰めて考えていくと答えは出ます。いろいろな要素によって怒りの感情が湧くんだと思いますが、その中でも自分が怒る最後のスイッチというのが見つかります。

人によってこの最後のスイッチはいろいろあると思いますが、私は10年ぐらい前にその最後のスイッチを発見しました。それは、私が人生を賭けた仕事や、本当に深く気持ちを入れている仕事をやっている時に、適当にやっているスタッフを見た時です。「オレがこんなにマジメに取り組んでいるのに何なんだアイツは!」と怒りのスイッチが入るんです。あるいは、自分が人生を賭けてやっている仕事を、知り合いや先輩に揶揄された時です。「オレがこんなにマジメに取り組んでいるのに何て言い方するんだ!」と怒りのスイッチが入るのです。

私が怒りを感じる複数の例を思い返したら、ほとんどこのスイッチが関係してました。私の怒りスイッチはそこなんでしょう。「今回の仕事は良くできた!」とか「ここまでクオリティの高い仕事も久しぶりだ!」とか思っている時に、「予算無かったんですか?クオリティがイマイチですね…」とか「平林さんにしては手を抜いた感じですね…」とか言われたら怒りのスイッチが入るんでしょう。

でも、その怒りを生む最後のスイッチが見つかってからは、何か言われてカチンと来ても、怒りが生まれた構造が分かっているので、怒りを分解するスピードが100倍ぐらい早くなりました。癇に障ることを言われて、「腹立つ!」となっても「いや待てよ。あのスイッチが押されただけじゃん。」と思うと、怒りが臨界を起こす前に分解されてしまいます。

さらに言うと、私が怒りを感じた発言をした人が、たまたま私の最後のスイッチを押しただけで、その人自体の人間性には関係ないことも多いんです。社会の中で多くの人と関わって生きていて、たまたま私の怒りスイッチが発動してしまう状況が発生しただけなんです。言ってみれば不運が重なったという事です。

もし、私が自分の怒りスイッチの法則を認識していなかったら「なんだアイツ!絶交だ!」と思って、実際に絶交してしまうかも知れません。でも今は自分の怒りスイッチの法則を知っているのでそんな事にはなりません。「その不運は嫌いになっても、その人は嫌いにならないです。」と言いますか。

そして、その目で他者を見てみると、その人の怒りスイッチが見えてくることがあります。「ああ、あの人はまたあの法則で怒ってるな…」ということが見えてきます。そして、その人が自分の怒りスイッチを認識してない事も分かります。自分の怒りの法則が分かっている人は怒りの分解も早いので、そこまで大ごとになりませんから。

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