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作品は自分を海外に連れて行ってくれるし、自分を助けてもくれる。

私は単なる遊びの海外旅行にはあまり行ったことがありません。いつも、映画祭だったりメディアアワードだったり、それに参加するために海外に行っています。ここ20年ぐらいで遊びで海外に行ったのはワタナベアニさんと行ったパリとホーチミンぐらいかも知れません。

でも、もし私が短編映画を作ってなかったら、もっと海外には行ってなかったと思います。私は幸運にも短編映画をきっかけに、海外に行くパターンを手に入れることが出来ました。

作品はもう一人の自分として自分の人生を耕してくれます。作品を作って映画祭で上映されると、それを見た人から連絡が来て、また別の映画祭で上映されることもたくさんあります。

私がやったのは作品を作ってどこかの映画祭に応募したところまでです。そこから先は作品が勝手にチャンスを掴んでくるんです。私が知らないところで勝手に話が進んでいるんです。

私は20年ぐらいかけて20本以上の作品を作ってきたので、その作品たちが世界中に飛び出していき、すごくたくさんのチャンスを掴んで帰って来ました。毎年1本作っていると、常に2〜3本の作品が世界のどこかで勝手に動いてるんです。仕事も激務でしたが、映画祭に関するやりとりもメチャクチャな量をやっていました。

私が作品に助けられたのは2012年です。私は2012年の冬に過労で倒れました。下手したら過労死してました。そのぐらい過労してたんです。その頃はまだCMディレクターとしてCMの仕事もたくさんやっていました。CMの仕事って1本でも割とエネルギーを使うんです。CMディレクターは決めることがすごくたくさんあるので打ち合わせもたくさんあります。過労で倒れた頃は10本以上の仕事を並行してやっていました。割とフルサイズに大変な仕事をです。

ある夜「あ、このままだと死ぬかも…」と思い、タクシーに乗って救急窓口に行きました。そこで当直の医者が私の顔を見て「過労でしょ?」と言いました。「普通だったらもう死んでると思うけど、あなたは体力があったから死ななかったんだよ。土日は何のためにあるか知ってる?死なないためにあるんだよ。」と言われました。

私の過労の症状は、常にインフルエンザのようにブルブル震えているのに、体温を測ると35度ぐらいしか無いんです。倒れる直前では34度台の事も何度もありました。

私は次の日から10本以上抱えていた仕事を全部キャンセルして完全休養に入ったんです。途中で降りてしまう仕事の連絡などはマネージャーさんに全部やってもらいました。突然監督が倒れていなくなるというのは割と壮絶で、たくさんの人に迷惑をかけてしまったと今でも思っています。あの時に迷惑をかけてしまったあの人やあの人あの人や、助けてもらったあの人やあの人やあの人には一生かけて恩返しをしていこうと思ってます。あの人達にはそんな事言ってませんけど。

私は1〜2ヶ月ぐらいずっと寝ていました。ビックリするぐらい体力が戻って来ませんでしたね。バッテリーが0になったパソコンに電源を差しても、なかなか起動しないのと同じ様な感じです。

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Xや無料noteでは言えない事。毎記事2000文字以上。月に5〜8回投稿。多い時は10回以上。映画監督、映像ディレクターの仕事について。フリーランスの生き抜き方をフリーランス歴20年以上の経験から。「中年の危機」に悶絶している様子をリアルタイムに報告。子供を2人育てる父親の視点と哲学。世の中に対する日々の雑感。親友の画家、石田徹也について。などなどを書いています。

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