51歳
6月25日で51歳になりました。50歳になった時には衝撃を受けましたが、51歳になって茫然自失としています。50歳になった衝撃が癒える前に51歳が来てしまうとは。中年になればなるほど水流がキツくなるものですね。膝のすぐ下まで水が来ているイメージです。これ以上水量が増えたら足元をすくわれるでしょう。ロープとか棒が欲しくなります。立っていられれません。川底に鉄の棒を打ち込んで流れないようにしたいものです。
そんな事を思いながら先輩方はどうしているのか見てみると、ワニの形をした浮き輪に乗ってウェーイと言いながら流れてますね。自作のイカダに乗って流れてる人もいますね。いやいや!岸辺でBBQしながらビール飲んでる人たちもいるじゃないですか!
なるほど、中年になったら本流のど真ん中で踏ん張らなくてもいいのかも知れません。激流を自分の足だけで立っている様子を見せつけなくてもいいのかも知れません。自分に正直にリラックスして生きる事が出来るのが中年なのかも知れませんね。
そのためには「中年の受容」が必要なんでしょう。有名な「死の受容」と同じプロセスを経るんだと思います。死の受容には5段階あります。
1・否認
2・怒り
3・取引
4・抑鬱
5・受容
中年の受容で言うと、1の否認は分かりやすいですね。「自分がオジサンである訳がない。ずっと18歳の気持ちで生きてきたんだ。今だって18歳の時のままなんだ。オジサンである訳がない。世の中でゴキブリの様に扱われているオッサンである訳がないんだ。」ですね。意外と40代までは余裕で否認出来るんですけど、50歳を超えるともう否認は無理なんです。
2の怒りも分かりますね。「何でオレがオッサンなんだ!なりたくてオッサンになってるんじゃないんだ!やめろ!オレをオッサンを見る様な目で見るな!オジサン扱いするな!バカヤロー!」ですね。オジサンが怒りがちなのは、この中年の受容の途中だからですかね。中年である自分が受け入れられなくて、あらゆるものにイラついてしまうという。
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