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なりたかった自分になってない

私はいま46歳なのですが、20代の頃になりたかった自分にはなっていません。

20代の頃は無限の可能性を感じていました。なりたい自分になれる気がしていましたし、一方では、なりたい自分になれなかったらどうしようと、大きな不安もありました。

結果的には、20代の頃の自分がなりたかった自分にはなってませんし、こうなるとは思ってなかった自分になっています。私はどちらかと言うと、自分で手を動かさずに、企画や戦略を考えて、有能な人たちに形にしてもらう立場になりたいと思ってました。プロデューサーとか、クリエイティブディレクターとか、そんな立場になりたいと思っていました。会議室で作戦を考え、現場にやってもらう立場ですね。

でもいま私は、戦いの一番先頭で甲冑を着て、馬に乗り、敵陣に突っ込んでいく立場にいます。刀を振り上げて「行けーっ!」と言ってます。20代の頃は、それを城の窓からセンスを扇ぎながら双眼鏡で見ている立場にいたいと思っていたのですが。

でも今となっては、20代の頃になりたかった自分になってなくて良かったなと思ってます。結局、演出をはじめ、自分で撮影したり、カラコレしたり、デザインしたり、脚本書いたり、アウトプットの一番最後をやりたいんですね。

戦国時代で言うと、兵隊の配置とか敵の動きよりも、刀でどうやって人を斬るかの方に興味があるんだと思います。その当時生きていたら、仲間と刀のスペックを語っていたと思います。「やっぱり刀はAppleだよな。Windowsの刀で人斬りたくない。」とか「BlackmagicDesignから出た刀、安いのに骨まで斬れるし、血が出ない。でも研ぎづらい。」とか言ってたと思います。刀にネジ穴をたくさん空けて、アームとかVマウントバッテリーが取り付けられる様にしてたと思います。

結局、「自分がなりたい自分」とかそういう事ではなく、自分の特性の最適な場所に落ち着くのかもしれません。自分というパチンコ玉が、ゴロゴロと転がって、最適な場所にスポンと入るのかもしれません。

と思う一方で、実はまだゴロゴロ転がっている段階で、スポンと収まってない可能性もあります。10年後には城から双眼鏡で、戦いの最前線を見ているかもしれませんし。

こう言ってはなんですが、全力で足元ばかりを見てやって来たので、若い頃なりたかった自分になっていないんだとも思います。遠くを見て来なかった自覚はあります。遠くを見てると、自分が動いている感覚が弱いんですね。足元見てると、スピードが遅くても、ものすごく移動している感覚があって、充実感があるんです。

25年ぐらい足元を見て全力で走ってきましたが、全力で走ってきた事で、ひねくれつつも、面白い人生になってるなと思います。もしかしたら、足元ばかり見てきたことで、やや特異な立場に立てている気もします。しっかりと前を向いて、目標を決めて生きてきたら、いろんなしがらみに絡め取られてしまった可能性もありますので。

なりたかった自分に「良い意味で」なってない、というのは、案外幸せなのかなと思います。20年後の自分も、想像がつかないものになっていて欲しいものです。

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