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ここのところ文章が伸びない

ここのところ、noteを書いていても途中で文章が書けなくなって、結果的に書きかけのまま放置している記事があります。最近だと10回中8回ぐらいはダメですね。300字ぐらい書いたところで伸びなくなるんです。伸びなくなるというのは、300字ぐらいで全てを言ってしまった気になって、それ以上書くことが無くなってしまう状態です。

私はnoteを始めた当初から、2000文字以上書いてアップすると自分で縛りを作ってしまったために、そこまで伸びない記事がボツ化されてしまうんです。にしてもです。これまでは2000文字なんてアッという間に書けてたんですが、今では2000字がとても高い壁に感じます。

最近は仕事がとても忙しく、常に考えていなければ間に合わない状態だったりします。脳がキャパを超えてオーバーヒートしそうな程ではないですが、常に85%ぐらい脳を使っている感覚はあります。忙しくかつそういう仕事が重なっているんです。そういう仕事というのは企画構成や脚本やコンテ描きですね。0から1を生み出す、閃きが必要な仕事です。だから、noteの文字数を伸ばすために脳を使おうという気持ちにもならないのかも知れません。

仕事が忙しいと言っても、撮影や編集や打ち合わせが重なる時には、実はそんなに脳は使っていません。「脳を使っていない」と書くとサボっているように聞こえるかも知れませんが、0から1を生み出す使い方をしてないんです。撮影や編集、あるいはイラストや音楽やアニメーションのチェックは、0から1を生み出す脳ではなく、5を6や7にしたり、7を8や9にする脳の使い方なんです。

0から1を生み出すのに必要なエネルギーが100だとすると、撮影や編集や各種チェックに使うエネルギーは30ぐらいです。下手すると5とか10ぐらいでも出来たりします。

例えば、棒が一本あるとします。それを地面に突き刺して、垂直に立てなければならないとします。0から1を生み出す仕事は、棒の長さや素材、地面の場所や硬さや傾斜、質感なども考えて、さらにどうやってそれを地面に突き刺すかを考えなければならないんです。人の力で刺すのか、重機を使って刺すのか、上空から落として刺すのかなどなど。

でも、5を6にしたり、7を8にしたりする仕事は、すでに地面に刺さっている棒が垂直になっているかチェックする仕事なんです。この棒がいま垂直に刺さっているのか、シビアにチェックはしますが、そこだけに集中すればいいんです。しかも、これまでの仕事で、何千本もの棒を垂直にして来ているんで、慣れたものです。

話がそれましたが、そういう0から1を生み出す仕事が重なっていて、脳のキャパに余裕が無い状態なんです。

特に、オリンピックやワクチンについての記事を書こうとすると、文章が伸びなくなります。今、これらについてハッキリした文章を書くのは本当に難しいからです。本当に神経を使って書かないと面倒なことに巻き込まれる気がするからです。途中まで書くんですが、途中でやめてしまいます。そんな事にエネルギーを使ってられないんです。

でも、これってすごいですよね。例えば、中国や北朝鮮みたいに権力に監視されているから下手な文章を書くと立場が脅かされてしまう。ならまだ分かります。でも、私は国からもどこからも監視されてません。でも、自主的に書くのをやめているんです。

具体的にどこで頓挫してしまうのか?

例えば、オリンピックについて書こうとします。オリンピックの開催に賛成にしても反対にしても、誰かしらの顔が浮かんできます。特に身近な人たちの顔ですね。あるいはSNSでフォローされている人たちの存在ですね。

その中には右寄りの保守派の人もいれば、強硬なリベラルの人もいます。その人たちの顔が浮かぶんです。もちろん、その人たちと仕事やプライベートでは、お互いに気持ちのいい関係でやっていますし、イデオロギーの話なんてしません。でも、SNSを通じてその人の思想が透けて見える事がありますし、ハッキリ主張している人だっています。

だから、書けなくなってしまうんです。不快にさせてしまうかも知れない、と思ってしまうんですよね。もちろん「不快になるのは受けての勝手で、どんどん自分の意見を主張した方がいい。」という意見もわかります。それはそうなんですけど、「面倒くさいことに巻き込まれたくないから、わざわざ意見を表明しない。」という気持ちなんです。

そして、今や「面倒くさいことに巻き込まれたくないから、わざわざ意見を表明しない。」と言っても怒られちゃう空気ありますよね。「悪いのはイジメっ子だけじゃなくて、見て見ぬ振りをしている人も同罪。」みたいな考え方がかなり広まって来てますから。

いやあ、すごい事ですよね。権力によってではなく、相互監視によって意見が言えなくなってるのが。そして一方では、意見を言わないやつは同罪だと言われちゃうんですから。

そして、そんな時に私たちが一番気をつけなければならないのが、声の大きな人に煽られないこと。煽り言葉の裏にはその人の別の意図があったりしますから。いい人ほど煽り言葉に乗せられちゃいますし。正義感をくすぐられる言葉が回ってきても、すぐに反応せずに時間を置くこと。

私は「煽り」を感じた瞬間に、サーッと引いてしまいます。その主張に強く同意出来たとしてもです。煽りという手法を使っている時点で怪しいと思ってしまうんです。ヘソが曲がってるのか、警戒心が小型草食動物並なのか。

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