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noteをちょっとだけ大げさに書いてドキドキする。

noteを書いていると、サービス精神からちょっとだけ大げさに書くことがあります。事実を大きく歪めて書くと言うよりも、そこまで書いたら書きすぎだと思うところまで書いてしまうイメージです。

私は落ち葉がカサっと動いた音を聞いただけで、ピョンピョンと足を揃えてジャンプして逃げていくほどの草食動物なので、出来るだけ無理はしたくないんですが、やっぱり少しぐらい強い表現や断言をしないと、読んでいる人がつまらないと思ってるんです。

でも、炎上などとんでもないので探り探り書くんです。そして、言い過ぎたとか書き過ぎたとか、その部分の自覚があります。でも「エイヤッ!」と投稿するんです。

そして、私の安全機構は1つのドアを開けるのに10分かかるほどの厳重なものなので、炎上などしないのです。する訳ないのです。

私がサファリパークの猛獣ゾーンと思って投稿した記事も、読む人からしたらモルモットが触れるふれあいゾーンなのです。「わ〜!白ウサギの赤ちゃんもいる〜!」と思われているのです。それに対して忸怩たる思いはありますが、私はそういう性分なので仕方がないのです。

いやしかし!

サービス精神じゃなくても、ある程度断言したり、ある程度偉そうに書かないと伝わりづらい時があるんです。ものすごく謙遜している人の文章は読みづらいんです。少し自分の考えを言う度にエクスキューズが入りますから。「と言いつつ私には無理ですけどねw」とか「それが出来れば私はもっと有名ですけどねw」とか。

そして、それでもいたたまれなくなってしまう人は、noteなんか書けないんです。「わたくしめなんて、とてもとても人さまに読ませる文章なんか書けませんので。」と思ってますからね。

本当は全ての人に表現の自由があって、自分の考えを表明していいはずなんですが、多くの人が目上の人に読まれたくありません。まず、親に読まれたくありませんし、会社の上司に読まれたくありませんし、部活の先輩にも読まれたくありません。あるいは、仕事をもらっているクライアントの人にも読まれたくありません。

「下請けの我々の労働環境はいまだに劣悪である」なんて記事を、お客さんの会社の人に読まれると思うとドキドキしちゃいますから。あるいは「最近の若者は仕事が出来ない」なんて記事を、上司に読まれると思うと毛穴がブワッと開いてしまうのです。

いやもったいない!もっと自分の意見を表明すればいいのにと思う人がいっぱいいます。たぶん多くの人が分かってないと思いますが、自分の意見を表明するって自分を輝かせる要素の1つにもなるんですけどね。現代社会の荒波の中、自分の足でしっかり立っているように見えるんです。若い頃「歩く謙遜」と言われた私がここまでやれるんですから、ほとんどの方はもっとやれるなずんです。

私が「ちょっと大げさに書いちゃったかな…」と思うポイントはいろいろあります。ここは突っ込まれるだろうなぐらいのことは分かって書いているのです。

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810字
Xや無料noteでは言えない事。毎記事2000文字以上。月に5〜8回投稿。多い時は10回以上。映画監督、映像ディレクターの仕事について。フリーランスの生き抜き方をフリーランス歴20年以上の経験から。「中年の危機」に悶絶している様子をリアルタイムに報告。子供を2人育てる父親の視点と哲学。世の中に対する日々の雑感。親友の画家、石田徹也について。などなどを書いています。

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