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自分を棚にあげて発信する

私は空き時間が出来るとTwitterやnoteで文章を書いて発信しています。「足の小指をぶつけて痛い。焼肉食べたい。」みたいなTweetを全世界に発信するのです。これは人類が初めて体験するコミュニケーションの形です。もしかしたら地球の裏側にいるブラジルの人が、私の「足の小指をぶつけて痛い。焼肉食べたい。」を翻訳を通して読んでいる可能性もあるんです。アマゾン川のほとりの岩に足の小指をぶつけ、カピバラの肉を焼いて食べている人に共感されるかも知れないのです。

そんな不思議な時代なんですが、発信を続けていると麻痺して来ます。私のTwitterは3000人ぐらいにフォローされてまして、noteは5万人ぐらいの人にフォローされてます。Twitterを始めた当初、10人でも100人でも文章を読まれていると思うと緊張するものがありました。それが1000人を超えるとどうでもよくなりました。数万人や数十万人にフォローされてる人もたぶん麻痺してしまっているんでしょう。

私も麻痺しているところがありますが、意識せざるを得ないところもあります。基本的に発信者はウザいやつと思われているんです。特に実名でやっている人ほどウザいやつと思われています。顔が見えるからウザさがハッキリするんでしょう。

こんなSNSの時代ですから、発信する人が珍しくないと思いきや、実名で定期的に発信している人は全人類に対してまだまだ少数派だと思います。そして発信者の特性として、そもそもが「オレはこう思う」という意見を持っている人だから発信者になっているんです。

「オレはこう思う」という意見を持っている人は、発言の圧も強くなりがちです。その内側からの圧の強さがあるからこそ発信者になっている訳なので、これは仕方がないことなのです。私も間違いなくウザいと思われているので、ウザいと思われている覚悟を持って発信しているのです。

発信してない人たちはこう思います。「アイツ、大した結果も出してないのに自分を棚に上げて偉そうなこと言いやがって。」と。

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