どうでもいい日記
3月になりました。3月になるとあっという間に5月になっちゃいます。私は植物が芽吹いてくる5月が一番好きなので、5月に映画を撮りたいと思ってるんですがまだ実現していません。
私が好きな5月の植物の動態は、山や森の中ではなく街の中です。街の中のコンクリートのすき間から生えてくる植物が好きなんです。1mmぐらいしかないすき間から芽を出し、それがどんどん大きくなっていく様子を見るのが好きです。
車を廃車にしてしまったメリットは、日々街の変化を感じられるところでしょうか。駅までの道のりで、どこにどんな植物が生えているかは大体思い出せます。5月になるといい感じで芽吹くすき間も知っています。
こういうのが好きなんです。
目が肥えてくると良し悪しも見えてきます。放置された人工物のすき間から生えてくる植物がいいんです。年月が経ってズレたコンクリートのすき間とか錆びたトタンとか、一年中水が流れていて苔が生えているとか。侘び寂びの世界観なのかもしれません。
あと、誰かの家の前で放置されて巨大化してしまった多肉植物とかも怪物感があっていいですね。30年ぐらい放置されてるんだろうなあなどと思って見ています。放置されてる人工物の周辺で作られる生態系が好きと言いますか。
下の写真は私の家にあるビオトープの1つなんですが、コンセプトは「工事現場に放置されたトロ舟」です。トロ舟というのは、コンクリートを混ぜる容器です。
隣の家から落ちてくる葉っぱや枝も放置しています。この中にメダカやヌマエビやヒルがいます。放置されたところで勝手に作り上げられる生態系が好きなんです。
だから、植物に飲み込まれてしまった廃墟とかも好きですね。そういう意味では『天空の城ラピュタ』の世界観も好きです。
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ここのところ、ワタナベアニさんの『カメラは、撮る人を写しているんだ。』と、幡野広志さんの『うまくてダメな写真と ヘタだけどいい写真』を読んだんですが、いわゆるTipsと呼ばれるものをいくら覚えても「いい写真」は撮れないという事が書いてあります。
Tipsというのは、手前ボケを入れるとか、三分割構図とか、そういうテクニックです。超ザックリ言えば、「この醤油をかければ何でも美味しくなるよ」というやつです。
ワタナベさんや幡野さんが言っているのは、どの調味料をかければ美味しくなるかを探求するのではなく、美味い魚が分かる目利きになれということなんだと思います。もっと言えば、目利きになるのも大変なので、とにかく美味そうな魚を選べばいいとも言えるかも知れません。
3年冷凍されたイワシといま釣られたばかりのイワシのどちらが美味しいかと言ったら、絶対的にいま釣られたばかりのイワシなんです。そしてこの2つの違いは素人でも分かります。新鮮で美味そうな魚は素人でも感覚的にわかるんです。なぜなら、人間は腐ったものを食べると最悪死ぬからです。「美」としてではなく「生存」のためにいいものを見分ける能力があるんです。
おそらく写真を撮る時に必要なのもそういうことなんだろうと思います。写真の場合は生存のためではないんですが、少なくとも「美」の排除は必要なんだろうと。「美しく撮ろう」という意識を排除するだけで、その人の撮る写真は変わるんだと思います。一番分厚かった「美」というフィルターが外れると、かなり自由になれるからです。アートから離れる事でアートになると言いますか。写真から離れることで写真になるんだと思います。
いやしかし!
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