楽園の繭
本日も私のnoteにお越しいただきありがとうございます
2023年5月15日月曜日より個展を開催します!本日も出品作品のご紹介です。
展示と作品詳細は文末に掲載しておりますので、そちらも御覧ください。
楽園で少女は新たな姿へと孵る。
永き旅の末にたどり着いたこの地ははまりの地。
繰り返す生命の流れに身を委ねる。
新たな世界が生まれる。
楽園の繭
眷属を引き連れ楽園へとたどり着いた少女。彼女はこの世界で新たな姿へと孵るために一種の繭となります。
青々と茂った蓮の葉に囲まれた安寧の場所。菊の花に包まれ、新たな誕生の生命力を蓄えています。周囲は眷属の金魚だけではなく、蓮華が花(少女)に注がれる生命力を象徴するかのように周囲を漂います。この生命力の源は近くにあって近くにはない未知の世界です。そこに最も近い場所。それが楽園です。
楽園にて思う
そこに佇むとどうしようもない懐かしさにとらわれる場所。私もかつてここにいた。ここでは、この世界と一緒だった/いまもひとつであると実感するのです。私は私ではなかった時にここにいた。その時の私と今の私の同一性は何に起因するのだろう。かつて私だったものなど今の私には何一つ残っていないはずなのに。
その答えが知りたくて私はここに来たのかもしれない。
楽園シリーズ
これまでの楽園シリーズは眷属を従えてようついに楽園へとたどり着いた少女をイメージして描いてきました(下図)。
高原の風景と睡蓮の組み合わせは、何故か私の心を惹きつけます。
特に高原の風景には得も言われぬ懐かしさを感じるのです。
私自身の過去の記憶、私の構成要素の持つ過去の記憶、その他にも原因があるのだと思います。ノスタルジーとはまた違った懐かしさの感覚です。私はこの地で生まれた、そしてこの地へと還っていく。そんな死の予感みたいなものも少なからず感じるのです。ただし、それは不穏なものではなく、自分自身が消えることなく永遠に存在し続けるのだろうという安心感に近いものなのです。死んだら天国、地獄、浄土などあの世があるのかは分かりませんが、人としての死は次の世界への入り口なのかもしれません。そして、本当はそんな入り口という区切/境界すらも本当はないのだと思います。
作品はそんな境界のない世界です。
死という言葉を出すことははばかれることではありますが、少なからずこのことに触れるような作品は強いです。何事にも負けずにより深部へと繋がれるような表現ができたらいいなと思い、日々筆をとっています。
前回に引き続き、個展作品の関係図を今回も掲載します。下図なのですが、よろしければ見てみてください。
最後まで読んでくださりありがとうございました。
本作も前回ご紹介した作品や出品する個展のタイトルと同じように、新しい生命を孕んだ繭のお話でした。前作は後戸の繭、本作は楽園の繭。その違いも是非会場にて鑑賞していただければ幸いです。
それでは今後の記事も宜しくお願い致します。
【作品情報】
タイトル:いつか見た庭が開く時 (湛 _a_ 楽園 = 還る場所)
サイズ:F10 号(530*455mm)
技法:パネルに油彩
【展示情報】
『平林孝央個展 “世界”の繭』
会期:2023.5.15(月)〜21(日) ※会期中無休
時間:11:00〜19:00 ※最終日は16:00まで
会場: 銀座月光荘・画室Ⅰ 〒104-0061東京都中央区銀座8-7-2 地下1階
(〒104-0061 東京都中央区銀座8丁目7−2 1F・B1F 永寿ビル)
購入など作品に関するお問い合わせは下記画廊までお願い致します。
◆ギャラリーサイト(すみれ画廊)
http://gallerysumire.squarespace.com/jp/shop/takahiro-hirabayashi2023
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