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クリエイターとしての桑山千雪のプライドとYOUR/MY Love letter 【剥がされて、虚ろ】桑山千雪 考察

【剥がされて、虚ろ】桑山千雪 コミュあらすじ
(ネタバレ注意)

がむしゃら

千雪は「文化系芸人・ランキングバトル!年末・WABISABIカップスペシャル」という番組での陶芸ジャンルへの出演オファーを受ける。それに向けて千雪とプロデューサーは陶芸教室へ行って練習をするも、千雪はそこで作った自らの作品に厳しい評価を下す。「それは主観的な評価なんじゃないか?」とプロデューサーは千雪をなだめるも、それでも千雪は納得しない。そして、収録では自分の納得いく作品が作れるようになりたいと思い、電動のろくろを購入して自主練をすることを決意する。

こぼれおちていく

焼き上がった花瓶(前コミュの陶芸教室で作成)が事務所に届く。焼き上がって当初のイメージとは異なる作風になったはずの花瓶であったが、それでも千雪の自分自身の作品に対する評価は変わらない。

通り一遍の器

WABISABIカップスペシャル収録当日。千雪はその後も試行錯誤を続け、自分なりの良い作品を作ろうと試みる。そんな千雪なりにベストを尽くした作品、『凛とした冬の花』の陶芸専門家からの評価は「75点」であった。専門家は彼女なりの努力については認めるものの、「大胆さに欠けた通り一遍の器」であるという厳しい評価を下す。千雪は「通り一遍の器」という評価を受けてしまった理由が、“良い作品を作る“という気持ちに駆られすぎて、小物を作っている時のようなワクワク感がなかったからだということに気づく。収録後、落ち込んでいる千雪に対してプロデューサーはダイニングバーでの撮影という新しい仕事を紹介する。

ウェルメイドな私

いざ始まったダイニングバーでの撮影は順調に進む。撮影の中で千雪はカメラマンから「『セレブな都会女子』っぽい」と評される。撮影後、千雪とプロデューサーの2人が食事をする中で、プロデューサーは千雪自身が「セレブな都会女子」と評されることに対してちょっとした居心地の悪さを抱えていることを見抜く。そのように評されることは千雪自身にとっては再び「通り一遍の器」とみなされるのと同義だと思っていたからだ。そして2人の会話の中で、千雪は番組の収録後も自主的に陶芸教室に通っていることが明らかになる。そんな千雪の姿を見ることで、プロデューサーは自分の仕事をする時にも彼女の持つような個性を尊重していこうと決意する。

True Endコミュ 器の中

事務所に千雪の新しい花瓶が届く。番組収録後に何度も練習を重ねた千雪の最新作は、以前の2つの作品と比べても確かな“負けず嫌いな千雪らしさ“に溢れていた。そしてそんな負けず嫌いな千雪は、もう一度WABISABIカップスペシャルに出演し、リベンジを果たしたいという旨をプロデューサーに伝える。


“クリエイター桑山千雪“の原動力とは何か

このコミュの中で描かれているのは、“クリエイター桑山千雪“のより深い部分である。

クリエイター桑山千雪にとってのものづくり(創作)を支えているもの、それは自分自身が「楽しい」と思ったものを追い求める無邪気な探究心、そして一度作ると決めたものは納得いくまでこだわり続けるという負けず嫌いさである。

千雪自身は小物作りについて、得意分野になったのは決して自分が器用だったからというわけではなく、好きで頑張ることができたから何とか形になった趣味だとしている。
だからこそ自身の作品に個性が溢れ、彼女のアイドル活動としての根幹となっている小物作り。しかしそれに対して、今回の花瓶作りでは「通り一遍の器」という評価を受けてしまうなど正反対の結果となった。

第1話『がむしゃら』

そのような結果になってしまったのは「作ることの楽しさ」よりも「良い作品を作ること」が先走ってしまったからであった。このことによって千雪はもう一度自分のものづくりに対する姿勢を問い直すこととなった。

しかし、その後の千雪の花瓶作りを支えたのは「作ることの楽しさ」だけだのであろうか。むしろ、この後に重要になっているのは「このままで終わりたくない」という千雪のこだわり、そして負けず嫌いの感情なのではないだろうか。

第4話『ウェルメイドな私』
True『器の中身』

さらに言えば、千雪のクリエイターとしての本領は、好奇心と負けず嫌いさの2つが合体した時に発揮される。

「作るのが楽しい」という感情に「このまま終わりたくない」という思いが重なり、千雪はその後も陶芸教室に通い続けることになった。そしてその2つの感情が重なった結果、彼女の作った作品は以前の2つと比べてより優れたものになり、かつより"千雪らしさ"がこもったものになったのである。

「セレブな都会女子」の拒否は何を意味するか。

「都会系女子」のレトリック

第4話『ウェルメイドな私』

コミュ『通り一遍の器』の中において千雪はカメラマンから「セレブな都会女子」と言われて、浮かばない表情を浮かべる。この「セレブな都会女子」の言葉を千雪がストレートに受け取らなかったことには何の意味があるのだろうか。

そのためにまずは「セレブな都会女子」という言葉の正体について考えてみる。コミュ内でも示された通り「セレブな都会女子」という言葉は決して彼女を貶めようとしていった言葉ではなく、むしろ彼女に対する確かな褒め言葉であったはずである。

カメラマン曰く「セレブな都会女子」とは「おしゃれで、場慣れしていて、自分に自信がある」人間のことを指している。そしてこれを全て持っているのは(それが先天的であっても後天的であっても)上位数%の人間であろうし、この言葉はむしろ最高級の褒め言葉である。

 つまり、普通に考えてみれば「セレブな都会女子」という称号は「通り一遍の器」であるどころかそれを超越した存在であることを意味しているのではないか。

ではなぜ、千雪はこの言葉を拒否したのだろうか?

「セレブな都会女子」の拒否の理由と意味

千雪にとっては「セレブな都会女子」とはむしろ「通り一遍の器」と同義である。思うに、千雪の中では「セレブな都会女子」と評されることはその言葉が持つ肯定的なニュアンスよりも、決して彼女の本質に触れることのない、すでに存在する借り物の概念によって自分自身を表現されたという否定的なニュアンスを感じていたのである。

そしてこの“借り物の言葉によって自分自身が表現されることへの嫌悪“こそ、やがて『YOUR/My Love letter』へと繋がっていく、桑山千雪の重要な哲学である。

YOUR/MY Love letterと個性


『YOUR/My Love letter』において最も重要な概念である“すべての名もなき人たち”とは、ほとんどの場合で“ファン“であったり“リスナー“であったりなど、(少なくとも、アルストロメリアとの関係を表現するには)既に存在する借り物の言葉でしか語られない人たちのことを示している。

『時々、私……思うんです。みなさんって呼びかける時、ファンのみなさんとか、スタッフのみなさんとか、よく使ってしまうんですけど、本当はひとりひとりがいるんですよね、その言葉の中に。
 それなのにひとくくりにしてしまっていいのかな?本当に私の想いは届くのかな?って……だから、頑張ってる娘さんのこと、よかったら教えてください。名無しさんのことも、よかったらもっと教えてください。それから、このラジオを聞いてくれているリスナーのあなたのことも、教えてください────』

『YOUR/MY Love letter』 6話 「present」より   

『YOUR/MY Love letter』6話「present」でのこの言葉は、借り物の言葉によって自分自身の個性が踏みにじられる痛みを知っている(もしくは、その痛みを予想することができる)桑山千雪だからこそ生み出せたのではないだろうか。

終わりに

True 『器の中身』

ここ桑山千雪ってよりも芝崎典子だろ

最後まで読んでいただきありがとうございました。

【過去記事】

元高校球児の視点で読む『夏、イエー』桑山千雪

郁田(いくた)はるき、明治大学生田(いくた)キャンパス説