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「人に迷惑をかけるな」はいい教えなのか(今週面白かったコンテンツ 1/22~28)

毎週取り上げている、その週に読んで面白かったコンテンツ。
今週はマンガ3タイトルを紹介するのですが、その中で「悪いこと」「迷惑なこと」「罪」などのことについて考えさせられるものでした。

①満州アヘンスクワッド

「満州で一番軽いものは、人の命だ」――。時は昭和12年。関東軍の兵士として満州にやってきた日方勇は、戦地で右目の視力を失ってしまう。「使えない兵隊」として軍の食糧を作る農業義勇軍に回され、上官に虐げられる日々を送るも、ある日農場の片隅で麻薬“阿片(アヘン)”の原料であるケシが栽培されていることに気づく。病気の母を救うため阿片の製造に手を染める勇だったが、その決断が自身の、そして満州の運命を狂わせていく…。

https://comic-days.com/episode/10834108156743079131

舞台は旧日本軍占領時代の満州国。主人公の日方勇は母を失い絶望の最中、家族を生かすために違法のアヘン製造に手を染める。彼の作るアヘンのクオリティは凄まじく、一発で吸った人を廃人にしてしまう。そんな彼に目をつけた謎の美女・麗華は既存のアヘンルートを仕切る関東軍(旧日本軍)を敵に回して密売網を築き一攫千金を狙う、というストーリー。

主人公たちがやっていることは、アヘンの密売であるのでめちゃくちゃ悪いことであり、迷惑なことですよね。でもマンガを読んでいると彼らを応援したくなる。アヘンによって多くの人が廃人になり、人が死んでいく。それでも主人公たちはアヘンを必死に製造して売り捌くわけです。

このマンガは満州独特のカオスで終末的な雰囲気と、主人公たちがギリギリのところで関東軍の追手を交わすスリル感が堪らなく面白いわけなんですが…やっぱり主人公たちが必死だからこそ面白いのかなと感じます。

ただ、俯瞰してみるとめちゃくちゃ悪人な彼ら。現代と価値観が違うとは言え、褒められたことはしていないんですよね。
ただ主人公たちは極悪人ではなく、毎日を懸命に生きている正義にも見える…
マンガでフィクションだから、ではあるんですが考えるところはありますよね。

②ヴィンランド・サガ

11世紀、北欧の地は、蛮族と恐れられたヴァイキングにより戦火にまみれていた。その中に、父親を殺され、復讐のため戦場を駆け抜けた少年・トルフィンがいた。彼は仇敵・アシェラッドを殺すために生き、生きるために戦った。だが、イングランド王位をめぐる争いの中でアシェラッドは不慮の死を遂げる。唯一の希望を失い、奴隷に身をやつしたトルフィンはそれでもなお安息と豊穣の地、ヴィンランドを思い描く。心休まる日はいつ訪れるのか。“本当の戦士” の物語が紡がれていく――。

https://comic-days.com/episode/13932016480029466292

続いてはアニメ化もされた名作マンガ。ヴァイキングの少年の冒険譚と、イギリス周辺の支配戦争の歴史を描いた歴史スペクタクル。

この作品の主人公・トルフィンはとにかく人を殺しまくるし、作品内で人殺されまくります。民族間の戦争だったヨーロッパ圏では、戦争=民族虐殺のような性格があったのかもしれません。

ただこれは皆、殺したくて殺しているわけではない。生きるために殺す、という手段を取っていて、現代と違う価値観で生きているのだと思います。

途中、主人公に家族を殺されたヒルドという女性の狩人が現れ、復讐の為に主人公を殺す一歩手前まで追い詰めます。その時、死んだ父親が言っていた”人を赦(ゆる)せ”の言葉を反芻して追い詰めきれず…
という話があるんですが、きっと皆が自分自身の悪事と被った悪事のバランスに苦しんでいるのだろう、と感じました。

③ダーウィン事変

私の友達は、半分ヒトで、半分チンパンジー。テロ組織「動物解放同盟(ALA)」が生物科学研究所を襲撃した際、妊娠しているメスのチンパンジーが保護された。彼女から生まれたのは、半分ヒトで半分チンパンジーの「ヒューマンジー」チャーリーだった。チャーリーは人間の両親のもとで15年育てられ、高校に入学することに。そこでチャーリーは、頭脳明晰だが「陰キャ」と揶揄されるルーシーと出会う。

https://comic-days.com/episode/13933686331668847368

このマンガは現代をベースにしながらも、ヴィーガンなどの自然主義者が過激化している若干のSF的作品です。
主人公・チンパンジーと人間のハーフであるチャーリーを中心に、自然主義者、差別、人権などを描いていて、現代の多様性や差別にも通ずる話があり、チャーリーの無垢な言葉、いちいち突き刺さってきます。

チャーリーは作品中で、「君たち人間は豚や牛を食べるけど、なぜ人間を食べるのは罪なのか?」「人間はなぜ、他の生命体(虫や動物など)より価値が高いと思っているのか」という発言をしています。

このチャーリーの言葉は、自分もハッとさせられるのと共に、人間の考えや歴史を探るきっかけにもなるな、感じました。

「迷惑をかけないで生きろ」は正しいのか

この3作品を読んで思ったのは、人間の行動によって生み出される「悪」「迷惑」「罪」です。

現代の日本に生きる私たちは幸い、かつてのヨーロッパのように、人を殺さずに平穏に生きることができています。
そして動物や植物を食し、多くの人が麻薬にも手を染めずに生きているかと思います。

ただ、生きるということ、行動して成果を生み出すこと、は他に迷惑をかけ、翻っては悪事と感じ取る人もいる、ということだと思うんです。

  • 人々が便利になる新技術の発明→それによって職を失うことになる人がいる

  • 美味しいご飯を食べる→それによって命を失っている生命体がいる

  • 仕事のコンペに勝つ→負けた会社にとっては損失
    などなど

コジツケ的ではありますが、”生きること=迷惑をかけること、罪、悪事”とも言えるんだと思います。
それに苦しまないために、人間は宗教を生み出し、神に救いを求めたのかもしれない。キリスト教なんかは”罪”の概念がめちゃくちゃ重要視されていて、生きること=罪と言ってしまっているんですよね。
この概念を作り出し、赦しを与えるシステムを宗教によって作り出し、人々が効率的に生きることができるようにしたから、キリスト教を文化としていたヨーロッパは人類で先んじて飛躍的に発展したのだろうと思います。

翻って、タイトルに戻るんですが。
日本ではよく、「他人に迷惑をかけるな」と言われて育てられた、という人が多い気がします。

狭い島国でこれだけ多くの人が生きるためのノウハウというか、心得なのかもしれませんが…
この迷惑という認識を強く否定することで、効率的かつ自分の意志を持って動くことまで否定している気がするんですよね。
何やったって、迷惑はかけるし悪事にもなりうる。

だからこそ、「人に迷惑をかけるな」ではなく「周囲の人に良い影響を与えろ」で生きた方がより能動的に生きることができると思います。

満州アヘンスクワッドの彼らも、迷惑とかを考える前に生きることに必死だから爆発的なパワーや突破力が生まれていて、それが面白さにつながっているんだと(フィクションの話ではありますが)

だからこそ声高にいいます
「人に迷惑をかけてでも、生きろ!」


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