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白いのに、クロフネ

その馬のことを知ったのは、とある雑誌の珍名馬コーナーだった。

「白い馬なのに、クロフネ?」――ぶっちゃけた話、これが彼に対する第一印象。血統的にも(当時は)マイナーな外国産馬だから、どんな馬なのかもイメージしづらいし、ブリンカーがマジックテープで付けられるようになっていたマツクニメンコ(と勝手に命名)はとにかくダサい。その上に珍名扱いされちゃうような馬名……申し訳ないけど、当時の僕は彼が後に大成するとは到底思えなかった。

クロフネの由来はもちろんあの黒船。ペリーが浦賀沖にやってくるときに乗っていた、日本史で誰もが習ったあの船のこと。クロフネが3歳になる2001年からは外国産馬にクラシック出走の門戸が開かれたため、この馬が外国産馬初のダービー馬になることを願い、金子真人オーナーは開国の象徴である黒船と名付けたらしい。

そうした話を聞くと、白い馬にあえて「黒船」と名付けたオーナーの強い決意が感じられるけど……いわゆる中坊だった筆者にはそんな決意やロマンはさっぱりわからなかった。

というか、クロフネ自身もデビュー戦ではエイシンスペンサーに届かずクビ差の2着と思いのほか地味な船出だった。

これを見た筆者は「なんだ、たいしたことないじゃん」とバッサリ。同じ松田国英厩舎所属馬なら、「ボーンキング(フサイチコンコルドの半弟で父がサンデーサイレンス)の方がいいんじゃない?」と思い始めていたくらいに。

この後、クロフネは2戦連続でレコード勝ちを収め、“あの”ラジオたんぱ杯3歳Sに出走して3着に。

これだけでも立派なのに、この時は勝ったアグネスタキオンに夢中で、クロフネのことは眼中にも入っていなかった。今だったらもう少し注目していたんだろうけど……年端も行かない小僧のアタマなんて、そんなもんでしょ。

年が明けて3歳。外国産馬初のダービー制覇を目論むクロフネは毎日杯から始動して、2着のコイントスに5馬身差をつける楽勝で重賞初制覇を飾るも、アグネスタキオン一色になりつつあったこの年のクラシック戦線では完全な脇役扱い(筆者の中で)。だから毎日杯を勝ったと言われても意外と印象に残っていなかったりする。

そんなクロフネに筆者が再び注目したのが、勝つときは常に圧勝のクロフネが唯一苦しんだNHKマイルC。今までとは違って行き脚がつかなかったことが影響して、4角を回っても10番手という位置取り。直線で新パートナーの武豊に追われ、ようやくトップスピードに乗ってきたが、前を行くグラスエイコウオーには届きそうもない。

もはや万事休す――そんな時、クロフネは最後の力を振り絞るかのように最後の最後でグラスエイコウオーを捕らえてゴール。外国産馬の総大将としてダービー出走を確実のものとした。折しもこのNHKマイルCの数日前に皐月賞馬になったアグネスタキオンが屈腱炎を発症して年内休養(その後、9月に引退)が決まったばかりだったから、かつてのライバルがタキオンの代わりに走るのを喜んだ覚えがある。

そして迎えたダービー。アグネスタキオン不在とはいえ、史上空前のハイレベル世代と称された一戦は、混沌としたメンバーを象徴するかのように曇り空の下で行われた。大外8枠18番に入ったジャングルポケットのすぐ隣が8枠17番クロフネ。スターホース2頭が揃い、ターフビジョンに2頭の返し馬が映った瞬間、地響きのような歓声が聞こえた。

そしてこれが、クロフネのダービーにおけるハイライトだった。肝心のレースでは重馬場のコンディションながら1000m通過ラップは58秒4というハイペースの中でクロフネは早めに抜け出したものの、未知の距離である2400mの壁を破れずに5着に完敗。外国産馬初のダービー制覇の夢は夢に終わった。

デビュー以来の大目標だったダービー制覇が果たせなかったクロフネ。陣営はまもなくに迫った秋、どこに向かわせるかと熟考した末、これまた外国産馬にこの年から初めて門戸が開かれた天皇賞(秋)を目指すことになった。

ダービーよりも400mも距離が短く、さらにレコード勝ちの経験もある距離だけにさらなる飛躍が期待されたが、クロフネはここで躓く。秋競馬緒戦となった神戸新聞杯でまさかの3着。札幌記念でジャングルポケットを破った勢いそのままのフサイチソニックになすすべなく敗れたのだ。

ダービーでジャングルポケットに負けるのはまだしも、まさか神戸新聞杯でも負けるとは思っていなかっただけに筆者はこの時、クロフネに対して「ガッカリ」という感情を抱いた。「何が外国産馬初のダービー制覇だよ、何が秋天制覇だよ。結局はどこにでもいる、ちょっと強い外国産馬ってだけじゃん。せいぜい秋天でテイエムオペラオーにコテンパンにされればいいさ」と。こっち側が勝手に抱いた期待に応えてくれないことにいら立っていた。

ところが、この神戸新聞杯の3着が後に大きく響いた。本賞金を稼げなかったことで、クロフネは2つしかなかった天皇賞(秋)への外国産馬の優先出走権を得ることができず、出走不可に。思わぬ形で天皇賞制覇は叶わぬ夢になってしまった。

やむを得ない、とばかりに陣営が選んだのは天皇賞(秋)の前日に行われる武蔵野S。翌年のことを考え、ダートの経験を積ませたいという考えがあったというが、このローテを聞いた筆者は当時「その年にNHKマイルCを勝ったばかりの馬が秋にはダートを走る? ダビスタじゃねぇんだよ!」と、一度見切ったくせに憤慨したのを覚えている。

ただでさえ連敗中で、ダービー以降の目的を失って宙ぶらりんに見えたからこそ、何たる迷走と思っていたが……90秒後、その考えが見当違いだったことに気づかされた。

スタートしてすぐに中団にいたクロフネは、向こう正面で上がっていって直線に入ったらもう先頭に立って、そのまま後続を突き放して2着馬に9馬身差をつける圧勝。しかも時計は芝並みのレコードタイム……情報量が多すぎてどこから話したらいいかわからないくらいのレースを見せた。

多分、浦賀沖で黒船を初めて見た人も「黒船を見た!」以外、言葉が出なかったと思うけど、この武蔵野Sを見た競馬ファンも「クロフネ、すごい強かった!!」以外の言葉が出てこなかったと思う。もっとも筆者の場合は、「クロフネ、ごめん!」が先だったけど。

そして1ヵ月後に迎えたジャパンCダート。あの武蔵野Sの余韻が強かったのか、前年覇者のウイングアローやアメリカのG1ホース、リドパレスらを押さえてクロフネは単勝1.7倍の1番人気に支持された。

ダートの経験は1回だけ。武蔵野Sは8枠スタートで砂を被らずに済んだけど、砂を被ったらどうなる? そもそも2100mの距離は?と、レース前は散々不安にさせる要素を持っていたにもかかわらず、クロフネはこのレースも突き抜けた。それも3角過ぎには仕掛け、大けやきを過ぎた時にはもう先頭に立つという破天荒なレース運びで。その姿はまるで滑走路を走って、空を飛ぶかのようだった。

「仕掛け早くない? ねぇ! 早くない!?」と、筆者はテレビ中継を見ながらひとりで興奮していたが、クロフネの早仕掛けには誰もついてこられないし、クロフネはもっと先を見ているかのような目をして涼しげにゴール板を駆け抜けた。

「なんてレースしてるんだよ……」馬券も買っていないのに、めちゃくちゃ感動したのを今でも思い出す。来年のフェブラリーSはもちろん、ドバイWCもクロフネが絶対に勝つと信じて疑わなかった。だからこそ、年末に屈腱炎を発症して引退が決まった時はアグネスタキオンの時以上に悲しかった覚えがある。

……あれから20年。クロフネの馬名をイジっていた中学生は34歳のしがない競馬ライターになり、その間、クロフネの産駒たちを何頭も見てきたし、いろんな夢を見てきた。今だってソダシがこの春、どんな走りをするかが楽しみだったりする。

あっちの世界でもお元気で。すでにそっちにいるアグネスタキオンたちによろしくね。
R.I.P

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