長崎県の伝統的なお墓参りと精霊流しと。
今日は土曜日。先日、Chat GPTに作ってもらった曜日ごとのnoteのトピック。
土曜日は
伝統のことはよく日本語レッスンでも扱われるトピックです。
今日は日本の伝統文化の中の、長崎のお盆のお墓参りについて書こうと思います。
長崎県のお盆のお墓参りは賑やかです。
8月14日くらいから、ロケット花火や爆竹の音が聞こえるようになります。
というのも、お墓で花火をするのです。
他県でお盆にお墓参りに行く機会が全くないので、この物心ついた時からしていたことなので、私にとって普通なことだったのですが、他県では花火をしないと知ったのは、高校卒業して大阪に進学した時でした。
このお盆にお墓で花火はなぜするのか?
この理由や由来を知りませんでした。気になったので、Chat GPTに聞いてみました。
なるほど。オランダというよりも、中国の影響が大きいような気がします。故人を送り出す際に華やかさや賑やかさを通じて霊を慰め、送り出すという意図が込められている精霊流し。
でも、さだまさしさんの「精霊流し」はなぜあんなにしっとりしたメロディーで深い感情が込められた歌なんだろう。
なぜ長崎の賑やかな精霊流しとは対照的に歌われているんだろう。
こんな風に私は疑問を持っていました。
でも、私が母を亡くしてから、歌詞やメロディーに込められた感情が深く理解できるようになりました。賑やかな周りと、静かな残された家族の感情や心の動きなど、歌の中の1つ1つの風景や感情が自分が体験したかのような感覚に、歌を聞きながら陥りました。
さださんの歌が持つ力って、そういう個人個人の経験や感情に寄り添い、共感を呼び起こすものがあるように思います。
長崎の精霊流しが賑やかである理由は、故人を送り出す際に悲しみだけでなく、故人の生涯を祝い、その魂が安心して旅立てるようにという願いが込められているからのと対照的に、さだまさしさんの「精霊流し」は、残された者の心の奥底にある悲しみや切なさ、そして思い出を静かに語りかけてくれます。
さださんの歌の力が私の最愛の母を偲ぶ大きな助けになったというのも過言ではありません。
ちなみに、我が家の精霊流しは、本当に少人数で、近所の川で行いました。ちょうどパンデミックの時だったので、遠方にいる弟家族が帰省できなかったので、本当に、本当に、ささやかなものでした。母のご友人がわざわざお盆前に持ってきてくれた、蝋燭もあって、水に溶けるタイプでハスの花の形をしたかわいらしいものでした。
ちょうど記録的大雨の最中で1日中大雨だったのですが、精霊流しを流すときになると、雨が上がりました。晴れ女の母らしい計らい。亡くなってからも、晴れ女伝説を更新しているなんて。笑
連日の雨だったので、川の数位も高かったのですが、精霊流しを流した1分は割とゆ〜ったりと流れていたのに、途中からものすごい勢いで流れて行きました。
家族と「お母さん、あんなに急いで走って行かなくてもいいのにね!」って大爆笑!
10年ほど歩けなく体も動かすことができなかったので、今はもうこんなに走れるんだよって言っているかのようでした。
大爆笑の後には、泣きたくなる気持ち、本当に肉体はいってしまったんだという寂しさと、もう体が動かせないという気持ちを味わなくてもいいんだ、というのと。
長崎のお盆の伝統について書いていたつもりだったのに、最後は個人的な精霊流しの思い出に着地してしまいました。。
今年も、お盆はとさださんの精霊流しを聞きながら、私はひっそりと涙を流すのでしょう。でも、びゅーびゅー流れていった母の精霊船を思い出しては結局は笑ってしまうのだけれども。