自分の中に抱える矛盾

 この投稿の目的は、僕がnoteを使って成し遂げたいと思っていることを、ありのまま書き連ねて、保存することです。皆様にはご一読いただけると嬉しいですが、それ自体は目的ではありません。

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 32年と8ヶ月。

 僕がこの世に生まれてから、この文章を書き記すまでの日数。”これまで”、そして”これから”は、僕にとって何を意味し、どのように物語るのか。

 中年・青年の境界が曖昧になっていく。 立派な大人として認められたい時もあるが、たぶん子供から”オジサン”と呼ばれるとムッとしてしまうだろう。アンチエイジングの健康食品の広告をバカにしてるのに、薄毛の薬を毎日飲んでいる(禿げるのは恐怖以外の何物でもない)。収入や職業で人を評価する人を軽蔑しながら、友達の仕事や年収をつい自分と比べる。煽り運転のニュースを見て憤りを覚えるが、自分が列から割り込まれたときはイライラして汚い言葉を心の中でつぶやく。

 年を重ねるうちに、遠い未来だと思っていた40代・50代の自分というのが、すごくリアルなものになってくる。明日何が起こるかわからない不確実な世界で、”自分の核”はもう変わらないような絶望に近い感覚。その感覚は、自分の中の「本音と建前」・「光と影」・「矛盾」と深く結びついている気がする。

 一般的に人は年を取ると、可能性や能力が限定されていくと考えられている。頭の中と現実の乖離が大きくなってくると、辛い。やりたいことが思うようにできなくなるからだ。ありのままの現実を受け入れられるケースは自分には稀だ。人は「自己欺瞞」で、苦痛を紛らすことでバランスをとっているという。「しょうがない。」「どうせできない。」「結局は。」そんな言葉で、無意識に自分に言い訳したり慰めている。そうやって、主体性というものを喪失していき、他人の人生を生きているようになっていく。そうすると、毎日は新鮮味を欠き、自分が見たいものだけを見て、理解したいように理解する。見える世界が小さくなる。そして、過ぎ去る時間だけがどんどんと早くなっていく。

 僕は典型的な日本の大企業に属しているサラリーマンだ。全国転勤があり、これまで、2回引っ越しをした。どこで働くのか、何の仕事をするのか、給料は増えるか、すべて会社の判断・業績にかかっている。他人に自分の運命を委ねている。会社に依存している。気楽だ。なぜなら、いざというときは会社のせいにできるのだから。自分の本質が試されているわけではない。けれど、それで良いのか?

 自分の人生を歩むには。自己欺瞞を少なくするには。一人の人間として自立するには、自分で考えて、創造していくことだと思う。どんなに拙いものでも、未完成のものでも、他人から認められなくても、生み出そうとする意思に価値がある。

 僕は、このブログ?を通じて、感じたこと、心が動いたこと、涙が出たこと、「身体」と「こころ」の相互作用(魂)について、”ことば”を使って丁寧に表現する。それが、自分を取り戻すために必要な作業だと信じている。

そのための手段として、音楽と読書という二つのテーマで、情報発信していこうと思います。

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