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ありのままの自分で夢を語る「くるまざ大学」(地球宿@安曇野)

気づかないうちに着ている「服」に気づく

人は気づかないうちにいろんな肩書きの鎧を着たり、着せられたりしています。「元学校の先生」「海外に行こうとしていた」「学童の」「リコーダー吹きの」ボク、いわたつ。

このような肩書きは、自分の頑張ってきたことだし、得意なことであり、好きなことでもあって。

そのどこかで、「何者でもない『いわたつ』としての自分」で居たい。こんな気持ちになった経験はありませんか?

何者かになりたくて、『役割』という服をたくさん着てきました。そんな服を1つずつぬいでいき、自分に染み付いた役割と自分自身を切り離し、【自分の心の声を聞く場所】がリアルのくるまざ大学でした。

やりたいことが違うから理解しようとする

くるまざ大学に集まってくる人は、【ほしい暮らしを探りたい人】どんな暮らしがほしいかは、人それぞれ違ういます。ゲストハウスをやりたい人、もうやっている人、カフェをやっている人、やりたいことが決まっていない人。

お互いが何かしら叶えたいことを持って集まるけど、お互いは決してライバルではなくて。
夢を【叶えて欲しい】【叶えたい】の循環が起き、爆発的なパワーが起きるんです。

合宿ではこんなことをします。
①あらためて自己紹介
②夢を叶えているゲストのキートークから自分のありたい姿、叶えたい夢を考える
③ドリカム新年会で夢を語る
④自分の内側と向き合い、合宿で考えたこと言語化する
⑤グループで発表して、アドバイスし合う

これまでの暮らしの中で、あれもしなきゃ、これもしなきゃ、とあれこれ目まぐるしく動いていた【役割をこなしている自分】から

圧倒的に理解しようとしてくれる仲間のもとで【自分を語りたくなった自分】へと変化していきました。

そんなボクの口から出てきたのは、学校のこと、子どものこと、教育のこと。そして何より教育という営みに関わる大人の姿への提案でした。

【教育に関わる大人が子どもの半歩先を生きる】

時代の最先端を生きるのは子ども。大人は、子どもより先に生まれているけど、いろんな肩書きとか思考のブロックが積み重なって、自由なように見えて自由じゃないときもある。

そんな大人こそが、自分の思考をゆるめて自由にすることで、子どもよりギリギリ半歩先を行けるようになるはず。

もちろん、子どもが予想もつかない危険なことはとめるよ。ブロックがないからこそやめられなくなっちゃうこともあるよ。それを止めるのは大人の役割だと思う。

子どもの自由な発想が、大人のアイデアで形になっていく。このアイデアを出していくには、大人自身の思考が自由でいることが、半歩先、なんだと思うなあ。

こんなことを気付かせてくれる【くるまざ大学】の仲間たちに感謝しつつ、自分の考えを、等身大の自分の言葉で紡いでいくことをこれからの仕事にしていきたいです。


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