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「わからない」ままでいい〜映画【違国日記】鑑賞記録《ネタバレあり》

※2024/6/16現在公開中の、映画『違国日記』の感想です。ネタバレ含みます。
※原作未読、映画のみ観た感想です。

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気づいたのが、この作品には女性しか登場しないということ。槙生の元交際相手の笠町も、今は男女なのか友人なのか「わからない」関係で、男性性としての位置付けではない。
姪と叔母、姉と妹、母と娘、祖母、朝の友人達、槙生と奈々。
大人へ向かう少女達と、「大人の女性」ではなく、「かつて少女だった」大人の姿が描かれていたと思う。

「人の感情や気持ちはその人のもので、分かち合うことはできない」という、槙生の言葉は全くその通りだが、そこにある割り切れなさや違和感に朝は気づく。

子どもにとって「大人」のロールモデルは身近な親、先生くらいしかいないため、朝も亡くした母の言う通りに生活してきたけれど、槙生との出会いによって母とは違う自分を生きようとし始める。

朝を始め、少女達の疑問は直球で屈託なく「大人」達へ向けられる。ーどうして結婚しないの?好きな人は?どうして小説を書くの?恋人?友達?ーだが、彼女達が「大人」と思っている人達は皆明確に答えられない。「わからない」んだ、と。朝の祖母、京子でさえ、槙生と朝の同居が正解なのか「わからない」。そう、大人になってもわからないことだらけー朝は親以外の大人に出会い、模索を始める。

頑なだった槙生にも、変化が訪れる。
同じ人物に「娘」として「妹」として関わった二人が、その人物について語り合うラストがとてもよかった。よく知ってるつもりでも初めて知る側面があったり、わからないなら、わからないままでもいいのだ、と。

もう一つ、大人に向かう少女達の葛藤やもどかしさにとても共感した。
主義・主張がなくやりたいことが見つからず自信のない子、ガラスの天井に早々にぶつかり無力さを嘆く子、自分のセクシュアリティに気づき、来る未来に不安を感じながらもささやかな幸せを願う子、誰もが羨む才能を持ちながら、あっさり手放し次に向かう子…もがき思い通りにならない日々を送り大人に向かう彼女らは、複数人で描かれながらも、一人の少女の姿にも見えた。
誰もがかつてそうだったように、あのかけがえのない時の中で、悩み、傷つき、息苦しさを抱え過ごす彼女達の姿は、今の私にとってはとても眩しく映り、瑞々しさを感じた。

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