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梅雨入りしたね…その3

梅雨の合間のお日様に
じっとりとした汗が恨めしいこの気温
日本は本当に湿度が高く夏の暑さが尋常じゃないと感じる
ここ数日も「熱中症で救急搬送された人は…」という
アナウンサーの言葉に慣れてきている自分にため息が出る
そして、前回の投稿から
月が明け、今日で10日になる。
今月も時間が経つのが早い…

前回、私にとって正に
運命の出会いと言える先輩職員
この方は共感・信頼するだけではなく
そこから一緒に支援方法について、
会社の方針と戦ってきた同士でもある。
なので時に厳しいことを言ったり言われたりしても
反感を持つことはない。
その時は頭の整理がつかなく混乱していても
時間がたつと腑に落ちる。
そんな先輩職員と出会ったその職場を1か月ほどの差で退職。
先輩職員は独立しました。
私もほどなく合流して
色々話しあいながら事業所を先輩職員の会社を一緒に作っていくという
とても充実した、やりがいのある、時にぶつかったりしながら
学びも、気づきも多い時間を共にしました。

そんな時間も感情も
私の抱えているもの達とのバランスを取るのは非常に難しく
私自身がそこから逃げ出したくなったことも多々あり
結局、先輩職員の会社を「退職」という形で
それから今は外から関わっています。
でも信頼関係は今も変わらず✨
刺激を受けながら共に前に進んでいると
私は感じている、感じられる
やっぱり運命の先輩職員です。

そこから古巣の法人の、昔とは別の事業所に出戻った。
若い職員が多く、それぞれが熱い思いを
利用者支援に燃やしていた
とても居心地のいい
自分の役割も明確で
出来たら永く勤めたいと思ったけども
福祉あるある3Kのうちの1つ
「給料安い」これだけが
当時の私の生活には足りなかった…
シンママ+子3人(高2、中2、小1)が生活するには
生活保護以下の収入だった💧
そこで色々と会社とも掛け合ったけど
規程の中では難しく…こればっかりは仕方ない。
そしてまたもや「退職」

次の職場は「社会福祉法人」と「合同会社」を
同じ代表者がやってるところの
社会福祉法人の事務長として応募したが…
これまた私の「社会福祉会計 初級(旧名称)」により
事務員として採用となった。
これがこの時は結果オーライだったけど
約半年後には「事務長」に!
その時はこの役職に魅力も感じてなかったんだけど
前任者の女性事務長が当時の代表者である理事長(女性)に
かなりの無理難題、セクハラ、パワハラで
最終的には女のヤキモチで離職に追い込まれていった…
この後釜として座らざるを得ない状況になっていた。
渋々異動し、理事長に代わって法人の様々な事をするのかと思いきや
やることは「金策」「金策」「金策」寝ても覚めても…
私が異動するまでは、ちょいちょい合同会社の方は
給与遅配が起こっていた。
にもかかわらず理事長は法人カードで散財しまくり
私が本部へ異動してからは、
少しずつまともな会計になりつつあり、給与遅配もせず、
滞納していた固定資産税、社会保険料、預かり所得税
頭を下げて、そもそものことの流れの説明を受け
(理事長は何も私に説明せずに!!)
顔から火が出るほどの恥ずかしさで
ただひたすら頭を下げ
計画的に清算する話を付けて
少しずつ、本当に少しずつ返済していった。
障害福祉サービス事業所として
真摯に向き合って経営、運営すべき社会福祉法人ですが、
この理事長は事業所を増やすときに
当時まだ持っていた大分県の事業所のサービス管理責任者を
北九州市の新たな事業所のサービス管理責任者として届け出た。
「異動で引っ越してくる」と言ったそうだ。
だが、もちろんこれは実行されておらず
現地確認は予定通り行われ、指定通知書が届いた。
それから数か月、職業指導員1人
そして1人、更に1人と現場の職員は増えていったが
サービス管理責任者は隣の通所介護事業所の生活相談員が
サービス管理責任者研修を受け、名前だけ届け出ていた。
そうこうしているうちに月日が流れ台風の時期になった。
メディアでは「命を守る行動を!」と連日アナウンサーが
声を大にして何度も何度も伝えている。
そんな中、北九州にも直撃するとの予報で
交通機関も計画運休のお知らせが届いた。
「さて、事業所はどうするか」
「障害のある人たちを当日、急な予定変更で大丈夫なのか」
「職員も通勤中に何かあったらどうする?」
私は台風が去った後の通常は休所日の土曜日に開所することにして
全員を事前に休むことで連絡、通知を出そうと動いていた。
事前に職員が有給申請したことで、それを知った理事長が
「お前!1日休んだら幾ら国から(給付金が)入らんか分かっとるんか!」
「お前の給料で払え!」
私の目の前で、有給申請した職員に電話で怒鳴り上げていた。
私に言われた訳ではない。
が、身体の中から何かがガラガラと音を立てて崩れていった。
「この人の下では無理」
退職を決めた瞬間だった。
何のために1人、遅くまで金策をしていたのだろうか。
何のために子ども達にさみしい思いをさせて働いていたのだろうか。
どうして私は土日も返上して、
この女のためにやってきてしまったのだろうか。
自分で自分が阿呆らしくなった。

書いてて思い出して腹立たしくムカムカしてる。

不正を自治体へ伝え、法人が生まれ変わることを望んだ。
その行動は、私1人ではなかった。
何人もが同じように行動してくれた。
何故なら、私の退職後すぐに
また給与遅配が始まったからだ。
私は12月に退職したが、その時は社会保険料を納付して
年明けの支払予定の銀行への保証料の資金も充分に準備していた。
それだけではない。
今まで在籍中には無かった、
みんなの処遇改善加算からの賞与も担保して去ったのだが…
年明け成人の日(祝日)に理事長から電話がかかってきた。
「どういうこと!貴女が社会保険料払ってたせいで
みんなのボーナスが出せなかったじゃない!!!」と。
いやいや、社会保険料はそもそも半分は職員からの預かり金やし。
笑いそうになった。
それに、退職間際は仕事からは外され、
でも金策だけはさせられていたが
合同会社がやっていた企業主導型保育園を
社会福祉法人へ譲渡する動きがあっていたので
「は?じゃあ、保育園、譲渡できなくても良いってことですか?
企業主導型の財源は子ども子育て拠出金だから、
社会保険料の未納があると譲渡できませんよ?」
立て続けにこうも言い返した。
「それに、社会保険料を払っても残っていたお金〇〇〇万円、
どこにいったんですか?ありましたよね?」
私がそこまで把握していたと想像してなかったのだろう
「もういいっ!△△さんに聞いてみる!」ガチャンッ
それっきり電話が鳴ることはなかった。

本来なら職員の給与として上乗せされるべきもの
処遇改善加算
これが職員に配分されていたのは…ほんのちょびっと。
ほとんどは理事長の私的に流れていっていたと私は思っている。
定期昇給もなく、私が異動して初めて昇給を行った。
そんな法人だったが、職員だれもが
「目の前にいる利用者の為」として
仕事を投げ出す人は誰もいなかった。
ボーナスが無く、昇給も無かったのに、だ。
各事業所の管理者兼サービス管理責任者の職員は
本当によく頑張ってくれていた。
任せておける職員だったからこそ
私も金策に走り回ることが出来ていた。

今回はなんだか、恨みつらみの回だな。
嫌な気分にさせてしまったら。ごめんなさい。
スルーしてくださいね。
次回は自治体へ本当の事を伝えに動きますよ~✊
ではまた、次回をお楽しみに。

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