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指導教員の話が理解できない(2024.5.22)

記事2本目に適した内容って何なのだろうか。
そんなことを思いながら1日を過ごした。

自己紹介というのはある程度の型が決まっていて書きやすい。
なら、真に自由になった2本目にこそ、書き手の人物像が見えてくるのではないか。

などと考えもしたが、これは記録のつもりで書いているので適当にやろう。

今日は大学院でゼミがあったので、そのことについて書く。

ゼミで修士論文の現状を報告した。
私はポンコツ故中身は全然書けていない。
ので、論文構成として目次を見せ、現状書けている部分に何を書いているのか、今後どのように書いていくのかを報告した。
指導教員からの評価は「まずまず」といった感じだろうか(内容のない報告にアクションしていただいただけでもありがたい事である)。

まず、論文構成について、いくつかの指摘があった。
「〇〇について触れるのは問題ないが本筋から離れすぎないよう注意。」
「〇〇について1節も使う必要はない、ここと混ぜてしまって問題ない。」
の様な、的確かつ具体的な指示だった。
ここは問題はない。

タイトルにある内容はここからである
「ダイナミックな構成でクリティカルな書き方になるが、こう書いてみると良さが出る。」
「ここはシステマチックに。」
…カタカナ言葉がとにかく苦手な私は、この様な表現の解釈に時間がかかる。
それが連続して続くともうお手上げである。

ここからはもう情報垂れ流し状態である。
私の頭は一度止まってしまったが先生は止まらない。
聞こえた単語をとりあえずメモして、何の話なのかを整理しながら必死に聞く。
普通に聞いていれば分かる部分も、理解がワンテンポ遅れているのでダメになる。
情報量の圧を感じつつ、それを取りこぼさないよう受け止める。
まあ、毎回恐らく半分は取りこぼしていると思う。
必死にメモを取り、後で意味をググって、「何となくこんな感じ」を理解する。
よくこんなので1年間院生できたな、と言われそうである。

勘違いしないでいただきたいのは、先生の指導は丁寧なことで有名である。
他学部や他大学からも学生(特に博士課程の方が多い)が参加するほどだ。
問題は私の知識不足だ。
1年前に比べればだいぶ理解できるようになっている。(慣れた可能性もある)
それでもなお理解できないのだ。

今日は実力の差を感じた1日だった。
1年間大学院で生活したが、今でもたくさんの刺激を受ける。
退屈だと思う日は1日もない。
今日も充実した1日だった。

ここまで読んでいただきありがとうございました。

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