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幼い頃の自分に学ぶこと

幼い頃の私は、自然にあるものだけで満足して満たされていた
欲しいものが買えない、手に入らないから幸せじゃない。
そんなこと、少しも考えたことがなかった
そんな幼い頃の自分を振り返り、ふと思ったことを書いてみる


幼稚園の頃、泥団子を作ることに全力をかけていた。
地面に叩きつけても崩れることのない、屈強な泥団子を作る。
どの工程を踏めばより強度が増すのか。

そんなことを考えては泥団子作りに一生懸命だった。

あのベンチ下の砂はサラサラしているから仕上げに使おう。
ブランコ下の砂はいい感じに湿っていて、最初の土台にするのは良さそうだ。
そんなことを考えていたような気がする。
感覚的にだが、覚えている。

母が幼稚園に迎えにきた際、私の下駄箱に靴ではなく大量の泥団子が入っており、まさか幼稚園で何かあったのでは?!と本気で心配させてしまったこともあるらしい。(これは記憶にない)

幼稚園の先生が、「これは○○ちゃん(私)が作って置いてるものですよ〜」と説明してくれたらしい。(母談)


小学生に上がり、今度は食べられる木の実を見つけたり、野原に大量発生している音が鳴る豆を探してはピーピー吹いてみたり。

時には、大雨と強い風が吹く中、幼いながらも一生懸命雨風と戦っていたのだが、次第に傘をさす意味がないほど全身濡れてしまい、いっそのこと雨を楽しもうぜと、傘を放り投げて友人と走り回ったこともある。(家に帰って怒られた)

雪が降った日は足のサクサクとした感覚が楽しくて、授業が雪遊びになることもあった。
楽しかった。

田舎だったからか、特に自然に触れる機会が多かった。

次第に物に囲まれるようになり、いつしか自然への興味も薄れてしまった。
自分が持っていないものを人が手にしていると羨ましいと思うようになり、それを買えない、手にすることができない私は幸せじゃない、そんなことを本気で考えることもあった。

幼い頃、私を満たしてくれた自然は変わらずにここにあるのに、そこに目を向けなくなってしまった。いつからだろうか。

「今あるものに感謝をする。」

それは、必ずしも自分が買って手にしたものではなくても、当たり前のように存在してくれている自然に対しても、感謝をしていきたいな。

そんなことをふと感じた1日だった。


今日の野球。
リアルタイムで見ることはできなかったけど、本当に嬉しい。
感動をありがとうございます。




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