妄想で現実は変わらない
私にとって、妄想は娯楽だ。
妄想は理想を語るのでも夢を追うのでもない。
「絶対に叶いっこないこと」を自分にとって都合のいいことしか起こらない世界線で想像するのが、妄想。
「なろう系」ってのと同じかもしれない。
転生したらすごい魔術師になっていて世界が自分にひれ伏す、という。
私の妄想も「転生したら大魔法使いになっていた」によく似ている。
もし自分にすごい権力があったら、なんらかのとてつもない技術者だったら、大金持ちでしたいことが何でもできるとしたら。
妄想は何も持たない人でもできる、全人類に与えられた娯楽だ。
派遣勤務をしながらWEBライターでの独立にいそしむ私に、妄想くらい許されたっていいはずだ、と思っていた。
ところが、あらゆる娯楽に「やり過ぎると害がある」のと同じように、妄想も害があるのだ、と気がついた。
妄想をすればするほど、今の生活はなにも好転しないのだ。
自分の手で作らなければ現実は何も変わらない
自分がすごくなったと妄想しても実生活が良くなるわけがない。
なろう系小説を読んで「私は大魔術師に転生した!」と妄想しても、現実では手から魔の炎を出して国を救えるようにはなっていない。
もし、なろう系小説で現実が変わった人間がいるとしたら、なろう系小説を書いて出版したことによって小説家として名を成し収入を得た著者だけだろう。
著者と妄想読者のどこが違うのかというと、読者は妄想して終わりだが著者は妄想しながら手を動かして小説を書いたということ。
妄想を形にした、と見えて、実はちょっと違う。
妄想を形にした、というのなら、USJでハリポタの杖をふれば魔法使いになれているはずだ。
USJのハリポタコーナーでは、たっかいつえを振れば火が灯る。
でも家に帰って杖を振ったら電気が点くわけではない。
なろう系小説の著者はハリポタの杖を振ったのではなくて、ハリポタコーナーを作ったのだ。
杖をふれば火が灯るという夢を現実にしてみせた。
自分の手を動かして作り出すことによって。
妄想と現実とのあいだには道がない
妄想と理想はとっても似ている。
どちらも叶えば嬉しいし、言葉にすると同じゴールにも見える。
技術的実力と経済力を持つすごい権力者になる、というのは私の妄想でもあり理想でもある。
理想だから、私はライターで独立することを目指しているのだ。
ライティングの腕でめっちゃ稼いでメディアやマーケットに影響を与えられるくらいの黒幕ライターになりたい。
脅威の黒幕ライターが妄想だとすると、とても気持ちが良い。
私がメディアの魔法使いになるために何の苦労も修行もない。
だけど、凄腕ライターで稼いでてファンやフォワーが数万人で……という理想として考えたとたん、道のりの遠さを思ってゲンナリする。
少なくとも今の私のちびちびした執筆ペースでは死後か来世までかかりそうだ。
理想とは今の位置からひたすらひたすら歩いた先にある桃源郷だ。
あり得なさそうに見えるが間にテクテク歩く道がある。
一方、妄想に繋がる道はない。
何だか知らないけどポンっと妄想の中に落ちる。
道がないから今の場所から歩いて行けない、それが妄想だ。
妄想はその場で朽ちて何も残らない
妄想で現実は変わらない、ということに気付いたきっかけがある。
私の職場に、妄想大好きな50代のおばちゃんがいる。
おばちゃんがいる、なんて書いたけど、私も50代のおばちゃんだから同カテゴリーだ。
私でないほうの50代おばちゃんはいわゆる推しがいる。
実は私も推しがいるのでさらに同ジャンルになるのだが。
私でないほうの50代おばちゃんは周りの人を観察しては「〇〇さんは私に好意があってつきまとう」など妄想を語る。
推しと自分のストーリーも「もちろん妄想してる」そうだ。
数々のあふれる妄想にあきれた私が「小説でも書いたら?」とすすめたら、妄想を表現や作品に作り上げるつもりはないとのこと。
「妄想が大好き。妄想なら、ずーーっと浸っていられる」と胸に手を当ててニタっと笑うおばちゃんを見て、私はゾッとした。
おばちゃんの妄想は語られた端から地に落ちて消える。
現実は何も変わってないのだ。
それに、妄想に浸って何もせず手も動かさずニタっと笑っているのは、私だって同じだから。
妄想で現実逃避せずに行動で現実を作る
妄想は娯楽だ。
今の場所から理想へと続く道のりは遠くて険しすぎるから、妄想でストレス発散でもしないとやっていけない。
指一本動かさなくても夢が叶うのが妄想、中毒性のある娯楽だ。
中毒性があるからおそろしく、妄想している間は一歩たりとも現実では歩いていないから延々立ち止まることになる。
立ち止まって、魔法使いになった妄想にふける。
妄想の間、現実は何ひとつ変わっていない。
技術的実力と経済力を持つ権力者になるには、妄想をやめなきゃいけない。
妄想すると夢はすぐ見られるが、夢に続く道は永遠に現れない。
妄想を止めて、目を開けて、手を動かさなければ現実は作られない。
ということに気付いていよいよゾッとした私は、妄想をやめてとにかく書くことにした。
ライターとは妄想する人間ではなく書く人間だから、ライターとして名を成したいなら書かなきゃいけない。
今日は文を書けませんでした、だけど妄想では大文豪です、なんて胸に手をあててニタっとしている場合じゃないのだ。
だからとにかく書いた、というのが当記事。
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