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作り物みたいだと自分で思う

Twitterの広告に挟まるレディコミみたいな恋をしている。
体から始まって、友達でいられなくなって。
元彼と付き合っている時から趣味が合うとは常々思っていた。本の趣味が合うのは同年代にしては本当に珍しくて、本と音楽の話をしてると元彼といるより楽しかった。それでもまだ、向こうにも大切な彼女がいたし私も元彼が一番大切だったから、「異性の仲のいい友達」どまりだった。
きっと、絶対、それがちょうどいい場所だった。
依存が苦しい元彼から離れて、向こうも大切なまま彼女と別れて、お互いフリーで、でも溜まるものは溜まるよなって深夜のテンションで。
一線を越えて。その時はまだ友達でいられた。
ただ私の意志が、弱すぎただけだ。

煙草の吸い方をまねた。銘柄が同じになった。好きだと言われた匂いを身に纏うようになった。勧められた本を読んだ。音楽を聴いた。ちょっとでも可愛く見られたいからってメイクもこだわってみたり。相手の都合の良い場所に、いられるように。

恋人をもう二度と作りたくないから、あとぐされなく関わりたいから、それだけが理由で始まった関係なのに、湿度を持ち込もうとする私のなんと愚かなことか。湿度のない、砂のような関係だからこそ良しとしたんだろう、私たちは。壊れる形を持たないことを、選んだんだろう。

きっと性欲と人肌恋しさと心地よさをこいに勘違いしてるだけだ。知り合って一年ぐらいで、互いのことなんてほとんどちゃんと知らなくて、深く踏み入る気なんてない、踏み入らなくて良い、ただ気持ちよければ良いだけの関係を、都合よく勘違いしようとしてるだけだ。

ああでも。会えなくて、距離を取られて、悲しいと叫ぶ胸の中の少女は。いったい誰で、なにを嘆いているんだろうね。

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