【わたしノート2】「わたし探究」
書きたいことは山ほどあるのに、いざ、noteに書こうとすると、手が止まってしまいます。
やっぱりびびっているわたし。(笑)
さて、今日はこのnoteを作成することになった流れのひとつ、「わたし」の原点について。
私は他の人からするといろんなところに行って、勉強する人らしい…。
自分ではそんな気はなく、ただ気になったから行ってるだけなんですが、
心理学を学んでからというもの、心理療法の講座やグループワークに参加したり、ヨガや気功に行って、自分のからだについて学んだり、仏教関係者の集まりや法座を聴聞しに行ったり、さまざまなワークショップというものに参加してきました。(これは臨床心理士という職業柄もあるけれど・・・)
なぜ、そこまでいろんなところにお金と時間を使って行っていたかというと・・・
これに限ります!
「わたし探究!!」(笑)
この言葉がひらめいたときは、嬉しかったです。
あ、これだ!!っていう。(笑)
この言葉がみつかったのも、藤田一照さん、桜井肖典さん、小出遥子さんがまとめられた、『青虫は一度溶けて蝶になる』(通称「青虫本」)を読んでいて、浮かんで来た言葉。
探求ではなく探究なんですよね。
探求はいまここにないものを探し求めていくけど、
探究はいまここにあるものを究めていく。
https://www.butuzou-world.com/column/koide/20181024-2/
わたしも「私」じゃなくて「わたし」なんです。
自我としての自己としての「私」ではなく、本来のいのちから起こってくる「わたし」。
「さとり探究」ならぬ、「わたし探究」!!(笑)。
それも私が9歳小学4年生のときに、「私って何?」「どんな人間なの?」とわからなくなったという体験をしてからなんですね。
後から考えたら、9歳って「9歳(10歳)の壁」とか「小4の壁」が起こる時期なので、発達的にそうなるのは当たり前なんですけど。
私はそこがかなりのショックで、それまで友達とどんな風にしゃべっていたかわからなくなって、自由に思ったことを言えなくなったんですね。
言葉が出なくなるとは違うけれども、明らかに学校でどんな風にふるまったらいいかわからなくなったんです。
記憶を辿る限り、そこからだと思います。「わたし探究」が始まったのは。
そこから「心って何?」「私ってどこからきたの?」「どんな存在なの?」
みたいな問いがずっと解決できなくて、悩みまくりました。
高校生のときに進路どうする?ってなったときに、心理学という心の学問があると知って、その道に進むことにしました。
「わたし探究」も、はじめは「探求」の方だったと思います。
どこに行ったら、どんな本を読んだら、わたしの問いの答えが出るの?と探し続けました。
その流れは長くなるので割愛しますが、最終的にわたしって「なーんだここにあったんだ」。探さなくても「すでにここにあるんだー」という気づきは、
小出遥子さんのブログと、なんといっても仏教によって導かれたものでした。
そして、体感としてはっきりつながったのは、気功と岡田式静坐法も影響しています。
まぁ言ってしまうとすべてのことが関わりあってるんですけど…
簡潔に言うと、南無阿弥陀仏なんですよね。(全く説明していないけど、わかる人にはわかるはず)(笑)
そんなこんなで、今は「わたし探究」を楽しんでやっています。
それにのっていると、人生楽しくなっていっているなーと。
実はこの1年学生をしていました。それもその流れのひとつ。
そのことについては、次回に続く・・・として、その学生生活についてもまた書いてみたいと思います。
読んでいただきありがとうございます。
合掌。なもあみだぶつ。
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